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どうして泳げない

子供の頃一番強烈に抱いた劣等感は水泳の時以外ないだろう。
私の遠泳記録は18m。正真正銘の泳げない奴。


クラスメイトが25mを順番に泳いでいる隣のレーンでプールの縁に捕まってバタ足だのカエルの足だのを永遠とやる。
小学校低学年の頃には縁仲間は数多くいたのに、次の夏が来れば数が減り反比例して劣等感は強まるのは当たり前で、中学生にもなって縁に投獄された時にはもうレーン一本ほぼ私の貸切状態ではなかっただろうか。


泳げない原因なんてわかっていたらとうの昔に泳げている。
言われた通りに体を動かしているのに進んだ様子はないし基本ずっと少し沈んでいる。息継ぎをするふりをするも顔をあげたところでまだほぼ水中なので口を開けて水を流し込む、ジンベエザメのお食事シーンを真似ているだけだ。
あの18mも言ってしまえば息継ぎなしの記録なので実は当時ものすごい肺活量を持っていたのかもしれない。

上達の兆しが一つも見えぬまま高校3年の夏を最後に水泳とは距離を置き、23歳ごろ。
ふと思い立ち、当時付き合っていた夫に、市民プールで泳ぎ方を教えてほしいとお願いした。
私はこの時、泳げるようになりたいと思ったわけじゃない。もう泳げると確信していた。

子供の頃はわからなかったりできなかったことが、大人になると急にできるということがある。
逆上がりもできた、畏敬の念を抱いていた車の運転もできた、中学でつまづいていた英語の問題もわかる。
できない原因さえわからなかった水泳も、大人になった今なら理解と克服が可能なんじゃないだろうか。


こうして水着を買い、夫と共に市民プールへ向かった。
ちなみに夫はとりたてて褒めるところはないが唯一水泳は得意だ。いつまでも泳いでいられるし、やたら水の生き物を愛でがちで、陸の時よりも面白い。前世はおそらく水の生き物だろう。
「俺が教えてあげる!」とかウキウキで水中にいる姿はよりアザラシの様相を呈していた。

実力の確認のためまずは私が一人泳いでみることになるのだが、もう君の出番はないかもよ〜?泳げちゃうから〜などと私は心の中で大いばりであった。
入水し、ゴーグルをつけ、プールの壁に片足をかける。この時私はついに泳げてしまうのかと心を震わせている。
だってそもそもバタ足しながら手で水をかく簡単な動きだけだ、進むに決まっている。進みが遅くても顔を真上にあげて一瞬で息を吸えば50mなんて容易い。
どうして子供の頃の私はこんな簡単なことを複雑に考えて溺れていたんだろう?
でももう大丈夫、少女の私よ、大人になった私が、あなたに贈る50m先の景色———

すぐ立った。

50m先は45m先にあるだけだった。
ちょっと待ってよお、大人になっても泳げないじゃないのお…。
私は自分の無能さに愕然とした。でも、大人になったおかげか、泳げない原因を察することはできた。
私は短い息継ぎができないのだ!

顔をあげて戻すまでのあの1秒未満の時間では満足に酸素が吸えない。
呼吸をするのがかなり下手である自覚が芽生えてきた。
ヨガを何度か体験したことがあるけれど、8秒かけて吸わなければならないのに先生の「4」くらいで吸い終わって「5」で息を止め「6」で苦しみ出し「7」ですかしっぺみたいに息を吐いている。
吐く時も同様「5」くらいで吐ききって息を止めた挙句体をプルプルさせる。
呼吸が下手だから一度もヨガで気持ちよくなったことがない。

ゆっくり息を吸うことが苦手なら、短く吸うことも不得手だったんだ。
息継ぎができないから苦しみ出して体が強張り沈んでいく気がする。
問題はフォームではなかった。じゃああのプールの縁の時間は一体なんだったの…?

絶望猫背の私をよそに夫は元気いっぱい先生ヅラしてくる。
「バタ足するときはもっと水しぶきをあげないとね」などと見当違いな指導をしてくるも、プールの縁出身の私は従順に試すことしかできない。
いつまで経ってもすぐに泳ぎをやめて立ってしまう私を見て先生ヅラは「なんで!できないの?!」と声を荒げる。
気まずい空気が流れ始めた頃、たまたまいたインストラクターのお姉さんが「コツはバタ足する時、あまり水しぶきを上げないようにすることですよ」と笑顔で教えてくれたことで無事空気は最悪になった。


もう泳げる未来に期待していない。

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