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心のビタミンは足りていますか?
こんばんは。
久しぶりに、国語のお話に関わる記事を書いてみます。
コロナのこの状況下で、学習に関してはさまざまな論争や環境の変化などはあったかと思われますが、2月の中学入試の動向を見ていても例年とさほど変わらないような気がしました。
つまり、非常事態宣言で空白の2ヶ月があったとしても、受験では大きな変化はないと思います。
教えていた子供たちにも、あの2ヶ月があればと思うこともありましたが、それでも結果は出ています。
変わらずにしっかりと学習していかなくてはならないということだと、思います。
今回は国語というか、私の考えについてです。
時折私の教え子でも、勉強がうまくできないと癇癪を起こしてしまうお子さんがいます。悲しいのは、現場によってはそういうお子さんを「厄介だ」と敬遠してしまうことがあることです。
私はそういうお子さんには、どうしてそうなるのか、また、その子にはちゃんと出来ると言うことをしっかりと実感させてあげるように心がけています。そうすると自然と勉強に向いてくれるようになるし、それが私にもとても嬉しいのです。
そうしたお子さんを見ると、表情の変化に乏しく、何かを聞いても答えようとしたがらないことが多く、何となく心の栄養素が足りていない、と感じるのです。
元気なお子さんは声からしてはきはきしていたり、表情豊かに、時折大人がどきりとするような率直な、または皮肉をこめた面白いコメントをすることもあるくらいです。
私には、そうではない(もちろん、特性として静かで穏やかな子はそれでよくてなんの問題もないですが)うまく自分の気持ちや心を掴みかねているお子さんを見ると、心の栄養不足を感じてしまうのです。
心の栄養といっても、難しいですよね。
私は、そのためには人とちゃんと対話をしてほしいと思うのです。
お母さんやお父さんと思ったことを話してみる。相手の気持ちを考えてみる。そうしたことが出来なくなると、外界からの刺激が分からなくなり、ある種の閉じ籠った心になるのではないでしょうか。
もちろん始めからお子さんに話をしてもらえることは難しいです。だからこそ、大人の方から、しっかりと聞いてあげるような空気を出してあげてほしいのです。
私が思う心の栄養は、美しいこと、だと思っています。
絵画でも音楽でも小説でもスポーツでも、どこかに素晴らしいものは色々あると思うのです。どうか、子供のうちからその子がとても美しいと感じられる何かに触れさせてあげてほしいです。それはもちろん、人の優しさなどでもいいです。
文章を理解したり、自分で書くことが国語という科目の難しいところですが、それが出来るか出来ないか、という根幹のところに「美しい」ものに対するセンサーがあることはすごく重要なのではないかと思っています。
そして、なにも高いお金を払わなくては美しいものが見られないわけではありません。
一日の空の色の変化も、蟻の作る行列も、一生懸命に勉強を頑張るお子さんもまた美しいと私は感じます。
私が最近みた美しいものは、とある男の子です。
授業で音読をしていたところ、一人とても音読がうまい子がいたので、問題の採点をする際に「音読がとても上手かったね。きっと国語もすごくできるようになるよ」と声をかけました。
すると、数秒して振り替えるとその子はマスクから出ている顔の部分が全て、耳まで真っ赤にしていました。
そのあと、その子はちゃんと誰よりも頑張ってその日はクラスで一番点数を取ることが出来ました。
私はその子がとても美しい、と思いました。彼にとっては思いもよらない誉め言葉だったのでしょうか。でもそのこの音読には、深い理解の響きがあったのです。
今でも、その真っ赤になった顔を思い出すと、私は嬉しい気持ちになります。
私にとっては、このことが心のビタミンになって、ますます仕事を頑張ろうと思えた瞬間でした。
皆さんは、心のビタミンは足りていますか?
お子さんにも、素敵な美しい「何か」を感じられるようにできたらいいですね。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。よかったら皆様の心のビタミンがあれば、コメントで教えていただけたら嬉しいです。
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