「お仕事大河」展開に ? ~ 期待再燃の「光る君へ」
なんだかんだと言いながら、毎週楽しみに観ている今年の大河ドラマ「光る君へ」。前々回は、主人公まひろ(吉高由里子)が鳴り物入りで宮中に上がったにも関わらず数日で家に舞い戻ってしまったが、まあ、無理もない。書斎のような場所を与えられたとはいえ、あの女房たちのピーチクパーチクに囲まれた喧騒の中では良いものなど書けるはずもない。およそ創造的活動などしたこともないだろう道長(柄本佑)にはわかるまいが、このまひろには全く同情する。紫式部も同じだったそうですね。
あの、宮中のうっとおしい様子を観ていて、どこか既視感が、と思ったらそう言えば私にもありました、ありました。少し大きな組織に転職をした、30年ほど前のことだ。全く未知の分野であったが、専門性を買われて入職した当初のこと、今思えばされたよなあ、イジワル(笑)。初めての職場では一年生だからと心して、何を言われてもニコニコして、ハイ、と聞いていたが、私の下の立場にあたる女性にまでダメ出しをされて、得意気な顔をされたっけ。不器用な私は仕事に慣れることに精一杯で当時はあまり深く感じなかったが、陰でどれだけ悪口を言われていたことやら。考えてみれば、中途で入って来た者が上の人たちからやたらと気を遣われているところを見たら、下の人たちは面白くなかっただろう。「こいつは一体なんなのだ」とよく正体がわからない同僚をいぶかしく見ていたことも、今ならよくわかる。
それからどうなったかと言うと、3ヶ月間猫をかぶっていたが、慣れてきた頃から、自分の専門性を発揮して自信を持ってものを言うようになったとたん、周囲は変わった。先の女性など手のひらを返したようにすり寄ってきた。もちろん用心は怠らなかったが。
ここに入職する前、ビジネス書をよく読んでいて、大学の先輩の女性の著書に「職場は人間動物園」とあったのが忘れられないが、全くそのとおりである。それを痛感したのは、顔を合わせるたびに気持ち悪いほど私を持ち上げていた同年代の女性が、陰で課長に私の悪口を言っていた場面に居合わせたときである。腹立ちも傷つきもせず、ただ苦笑いするだけだった。
私はそれまで自分のことをいっぱし賢い人間だと思っていたが、なにもものがわかっていなかったのだ。たしかに俗世は美しいものではなく、人間はメンドウだが、これを知らずして人の世を生きたとは言えないのではないか。若い頃には、高等遊民で一生暮らせたらどんなに幸せかと本気で思っていたものだが、人の世の有様を知ったからこそ、芸術などの真の価値が身に迫ってわかるのではないかと思う。そして、自分は何こそを大切にして生きるべきかを考えさせてくれるのだ。
大河に話を戻すと、この展開でがぜん、まひろの選択と行く末を応援したなった。「あなた、今ごろなにを言っているの」と吉高のあの声で言われそうだが(笑)。ドラマでは、紫式部が誕生し、源氏物語がつむがれていくさまを丁寧に時間をかけて描いていくようだ。第32回の「誰がために」書くのかという問いには、誰のためでもないまひろ自身のためだというのが答えなのだろうが、まだこれからである。心折れかかったまひろに、道長が美しい扇を贈ったシーンにはホロっとしたが、あの豪奢な扇は道長の妻の実家の財で作ったんだよ(とイジワルなみざくら・笑)。これからのまひろには、道長を踏み台にとは言わないまでも彼を卒業し、十二単を脱ぎ捨てるように脱皮して大きくなっていったらいいなと思っている。
大石静の脚本が面白いのは、人の意表をついた展開をするところで、「セカンドバージン」(2010年・NHK)では、ひとりの男性を取り合っていた妻と愛人が、男性が亡くなったとたん遺骨を押し付け合うという、なんともシュールな終わり方であった。朝ドラ「ふたりっ子」(1996年)も意外性があったと記憶する。その意味でも、これからの大河の展開に期待している。