ラノベだろうと、批評の重要性を今一度説く
へのレスポンスなんだけども、まず「批評が要らないというのではなく、批評家が要らない」という理屈は果たして成り立つのかという疑問がある。
あるいは本当に挙げられている命題は、批評の場がいらない、ということなんだろうか。と、フォーカスしなければいけない点が少々分かりづらい。
批評そのものが不要とまで断定してないんだろうけど(それを言い出したら創作の前提のコミュニケーションがぶっ壊れる)、これに対して前にも書いたけど所謂ライトノベル界隈の批評の言葉の貧弱性はどうしても感じる。
あの界隈の情熱に関しては、今の文藝のすべてのジャンルの中でも指折りのものはあると思っていて、自分の好きなことを語る言葉の熱は相当のものだけど、その判明自分の興味の薄いことに対する意見へのレスポンスが、驚くほど相対的に低い。
端から見たらコミュニケーション不全にも見える。そういう意味で、コールに対するレスポンスの意味での批評の言葉が彼らには強く必要であると感じることがある。
俺自身は、あらゆる意味で三島由紀夫を崇拝しているけど、その中でも特に書評家としての三島由紀夫も無論私淑している。三島はあらゆる文藝(SFも)から、漫画まで多彩に論じている。赤塚評など本当に驚くほど明晰だ。
俺もかの人にあやかり、幅広く文藝を旅していきたいと思っていただけに、この論考はもっと考慮する点は多いと感じた。