創作者全てに問うが、読み手を一段下に見てないといえるか?
を全部見た。
非常にシンプルな原因だ。単純に書き手の数が読み手の数を大幅に上回っている。
それを示す兆候なんて20年以上前からあった。今は無くなった雑誌「海燕」の新人賞の応募数が当の雑誌の発行数を大幅に上回っていたそうだ。
何度も繰り返し言い続けてることなんだけど、創作指南の本は電器屋にすら置いている。
技術書とかの棚のゲーム関連を見ると、シナリオ指南術とかそんな感じで混じっている。
一方、批評の言葉の指南書は三省堂本店にも置いているのを見たことが無い。
だからまともな指南も受けてないので、自分の批評の言葉は小林秀雄や江藤淳、三島由紀夫の見よう見まねで拙くやっている。
以前に「執筆が9で読書は1でいい。作家はとにかく書け」みたいな意見にキレ散らかした。
「せめて書く量の2倍は読め。耳も目も口の2倍はあるだろうが」と自分はいった。これはコミュニケーションの作法でもある。何かからまず受け取ったものを咀嚼してから返すべきだ。
自分には正直、かなりの創作者はネットを含めて読み専をどこか馬鹿にしてる風に見える。 そうでなくとも一段下に見てないといえるか?
違うというなら、上でも書いたとおり、ただの一つも批評の指南書がない理由は何だ? 何故最も需要があるはずの読み手を増やそうとする試みが存在しないのか、その説明が付かない。
読者を育てる手間を惜しんだのは、明らかに作り手側の責任であり、種もまかずに実が出るはずが無いだろう、というのが自分の率直な意見だ。