日本の科学技術の没落…なぜロケットは飛ばないのか?H3失敗の本質とは
日本の科学技術の停滞が叫ばれて10年以上が経っています。
どうしてなのでしょうか?
理由が明確でなければ対策の講じようがありません。
間違いなく言えることは個々人のレベルが相当に低くなったことが大きい要因です。このレベルの低い研究者や技術者が日本というシステムで多量に生産されて来たからです。
端的に言えば、教育というシステムが産み出す多量の廃棄物になって来たからです。
自分の専門、というよりは(効率的教育のためか)学ぶことが限定されてそれ以外の素養が全く無いのです。自分の内側は見えても外側は見えず、関心も持ちません…俗に言う『専門バカ』なのです。
短冊の紙も糊代が無ければ並べておいただけでは大きな紙としては使えません。風が吹けばバラバラに散るだけです。
この要因は挙げればキリがないほどですが、現在の日本と言う国の指導的地位にいる人達を見れば一目瞭然です。科学技術を理解できる人など全くいませんし、何やら得体のしれない経済を語る人達が金の奪い合いに奔走しているに過ぎないからです。コストと意味の無い効率だけを叫びます。
失敗すると、言い訳をして、謝罪するが、誰も責任など取りません。
政策を語ってもよく知りもしない文系役人が書いた原稿を棒読みするだけですから効果的な政策や戦略など出てくる可能性はありません。
例えば、最近、ロケット打ち上げに立て続けに失敗しています。
この失敗を巡って、その原因を語っているのは、事もあろうに、経営を専門とする評論家であったり、技術に関してよく理解もしてない『専門家』と称する人達であったりします。
誰か責任を取ろうという人は居るのでしょうか?
今の日本はこの手の人達が語り合う極めて歪(いびつ)な社会になっています。
例えば、ロケットの失敗で語られるのは、
★コストの削減が著しい
★スケジュールが厳しい
などとしたり顔のコメントが出てきます。
しかし、この類の事はどの産業や技術分野でも当たり前の事ですから、宇宙開発だけ特別という事はありませんし、言い訳にはなり得ないのです。
スケジュールについても同じです。それが証拠に、ロケット打ち上げも何度か延期を繰り返しています。
要は、与えられた制約の中で、それを克服してこそ価値ある開発と言われます。これは宇宙に限ったことではありません。
大きく日本の流れを見てみましょう。
かつて日本は戦後から立ち直り、安かろう・悪かろうの製品を雪崩のように製造して稼ごうとしました。
その後、日本が『Japan as No.1』と呼ばれるようになったのは、製品の『品質』こそ最も価値あるものと気づいたからです。世界から日本製品の信頼性が評価され高い付加価値を創り出しました。
しかし、他国の追従に価格競争に巻き込まれてしまうと、安価に造る為に『最も付加価値の高い』『品質』は数字に表しにくいものとして段々と無視されて切り捨てられました。
日本にいた品質の専門家たちは海外に活路を求めて、彼らの持つノウハウを他国に伝授しました。これは売国でも何でもありません。日本という社会が『品質』に価値を認めず、ひたすら価格低減だけを求めたにすぎません。
むしろそれに気付いた他国の経営者たちに見る目があっただけです。
さて、その後、従来からあった『品質保証のプロセス』が邪魔になって来たのが日本の経営者達です。
その次にやって来たのが、官民あげての『検査不正』『品質不正』という『手抜きで稼ぐ』という安易で手っ取り早い手法なのです。
それだけに留まらず、政治や経済の分野でも『統計不正』や『会計不正』に走り始めました。
要は、『バレなきゃいいだろう』という程度の『誤魔化し』が横行してきました。
犯罪は、『詐欺』、製品は『検査不正』と『品質不正』、政治経済では、『統計不正』と『改竄』と、あらゆる分野で『正直者は損をする』とばかりに『インチキ』が横行してきました。
でも以上のことが起きて来た背景は何だったのでしょうか?
日本と言う国が、『マネー・ファースト』と言う価値観が絶対の国になっただけですから、極めてシンプルな構造です。
ではもう一度ロケットの失敗に戻りましょう!
いつの場合も、新規ロケットの開発になると、
★宇宙ビジネスに勝てるロケット(打ち上げコスト)
★世界最高性能のロケット
などのようにお題目を並べた開発目標が設定されます。
これは日本の予算獲得上に『世界』『最高』『コスト』という呪文が無ければ認められないということから伝統的に並べられる『美辞麗句』であって、信じている人はほとんどいません。要は、説明しやすいので使われるに過ぎません。
それが証拠に、日本で開発されたロケットや衛星で世界のマーケットで認められた商品は皆無です。まあ、上に挙げた言葉の美辞麗句は、『南阿弥陀』のようなものです。
例えば、世界的には打ち上げビジネスに勝とうとするヨーロッパやロシアは従来のロケットの設計にプラスして、小型のロケットを束ねて付けることによって打ち上げ能力を高めるため、開発に必要な労力やコストを小さくしています。
日本のように、小さいが世界最高性能などは他国は求めません。安く打ち上げ能力を大きくしてドンドン稼ごうというビジネスモデルです。
日本のロケットはショーウインドウで飾られる『見本』でカッコいいけど高いので誰も買わない…この程度です。
それから新規の開発を伴うプロジェクトは必ずと言っていいほど、『新規開発のもの』には、極めて注力して重点的な配慮が行われます。
ですから、この『新規開発もの』は、(言い方は悪いですが)放っといても皆さん頑張ります。遅れても何とかします。LE9もこの例です。
そうすると全体を統括する人間がすべきは、
★注目などされない部分
に目配りを怠らないことなのです。
どんなに世界最高の自動車エンジンを搭載した車でもパンク寸前のタイヤを装着してしまえば、悲劇は起きます。
確か、ロケット打上げ失敗の際の記者会見で
『私は電気関係はよく分かりませんが…』
という言葉があったように記憶しています。
この言葉こそ、まさに象徴的に失敗の本質と事態を表しています。
責任者が『よく(知らない)分からない部分』で起きているのです。しかも二回連続です。
それは、二回の失敗が共に、
『電気系統(シーケンスを制御する電子回路も含む)』
で起きたのでは無いでしょうか。
分からないから起きた…と言っても過言ではありません。
ロケットが点火できないというのは、珍事以外の何物でもありません。
リスク管理というのは、注目されている部分ももちろん大切ですが、小さい…と思われる分部にも同じ配慮をして光を当てなければなりません。
現場の技術者もあたかも『盲腸』のように扱われていたとすれば、ここが『命取り』になったという事でしょう。
★大事の前の小事
成功するためには、どの部分も成功しなければならないのです。ねじ一本なくても成功はおぼつきません。
まさに、日本の科学・技術はかつての
★驕りと堕落と傲慢
の産物と言えるでしょう。
★失敗から学ぶ
科学も技術もなんの素養も無い人達が、お題目だけのスローガンで生き抜ける時代ではありません。
このために教育という最も将来にリターンの大きい投資を惜しんではなりません。