Freeze Moon

ベッドに落ちた陽だまりの中で幸福に目を醒ました。忘れられない一年の最後の一日は、いつもとおんなじだった。エアコンをつけっぱなしの部屋にいると気づかないけれど、窓を開けると、風が冷たい。庭のバジルもすっかり枯れてしまった。コーヒーが落ちるまでのあいだ、何気なくテレビをつけて、消す。今夜は大寒波がくるらしい。

子供の頃、正月といえば決まって祖母の家に行き、山のようなご馳走を食べ、大人たちの会話するようすを不思議に眺め、お年玉をもらい、お屠蘇をのみ、かしこまった挨拶をするのが恒例だった。ところが、いつからか親戚で顔を合わす機会も減り、私が社会人になった頃には実家で家族だけの食卓を囲むようになった。

二十歳をすぎた私は、おんぼろの軽自動車で隣町の酒屋へ行き、珍しい日本酒を買い込んでは、三が日のあいだ昼夜を問わず酒に溺れた。ほかに楽しみなどなかったし、何より新年だけは日本中こぞって浮かれているだろうから、自堕落の大義名分を得たような気がしていたのだ。テレビをつけてもお祭り騒ぎの一体感が、どこか懐かしくて好きだった。

仕事始めの日は、時の流れがいつもよりゆるやかだった。大した仕事も入ってこないし、事務所でのんびりと電話番をしたあとは、上司と連れ立って商売繁盛の祈願に出かけることもあった。仕事そのものは決して好きではなかったし、働かなくて済むならそうしたいと思っていたけれど、ある意味仕事によって私の暦は形づくられ、季節は彩られているのだった。仕事納めがなければ仕事始めもないし、正月もない。あたりまえのことだ。

いま、私は自室の椅子に凭れて、あの青くみずみずしかった日々のことを顧みている。ここは私の自室であり、オフィスルームでもある。遅刻癖のある私にとって、朝の通勤は何より苦痛だった。人と会わなくて済むのも、これほど穏やかなことはない。かつては、自分の行動のひとつひとつの果てに、何が生みだされるのかもわからないまま、ただ出社し、そこに存在することに意義があった。考えても、考えなくても明日は来たし、明日が来れば、それだけで生かされていた。

自由とは、道標のない旅なのかもしれない。いまは、立ち止まっていたらはっきりと季節が、時代が私を置いて過ぎてゆくのがわかる。目を閉じていても運んでくれる大きな船はどこにもない。だから夜が訪れないように、遠くの地平線に浮かぶ夕陽を追いかけていつまでも走りつづけている。気を許せば夜に抱きすくめられ、あっという間にひとりの少年に戻るだろう。

残り数時間をきった。忘れられない一年が、背中越しに思い出に変わってゆく。出しそびれていた年賀状を一枚忍ばせて、近所の郵便ポストまで走る。大きくて丸い月だ。ひっそりとした路面には、私の影だけが映し出されていた。

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