立体で表現すること
前回の記事の中で、絵の具という物質の流動性に着目しながら絵画制作をしていたと書きました。物質を扱う限り、私はその流動性を活用することができます。よってこの考え方は自然と立体制作にも引き継がれていきました。
立体作品の制作に移行し始めたばかりの頃は、任意で選んだ素材が手を加えることで別の質感を持ち、別の存在へと変化していくとこに興味を持ちます。
無機質な既製品としての素材を「有機的な生命体、または身体の一部に感じさせる何か」へと変化させることを目的として、大作を継続的に制作しました。
私の立体作品は芯や型などを作ることなく制作されています。どんなに大きな立体物でも設計図やドローイングすら存在しません。なぜ作らないのかというと、私にとっての制作は一般的な物を作る感覚からかけ離れているからです。
設計図やドローイングがないことでより自分の身体を用いた作品の制作が可能になり、予期せぬ素材の変化を楽しむことも出来るようになりました。
絵画だけを制作していた頃は、キャンバス上でしか表現ができない不自由さに悩んでいました。既製品としてのキャンバス、絵画としての矩形、そこから抜け出して私は物質そのものと向き合うことにしたのです。
立体を作り始めた当初は自分の作る立体物を絵画と呼べるかもしれない、と考えていました。しかし後にその考え方は覆されます。
「私の作っているものは絵画でも、彫刻でもない。もしかすると作品と名付けなければ何者にもなれない物かもしれない。」
この考え方は、今の私にとって核となる考え方と密接に結びついています。
次回の投稿では過去の投稿でしばしば触れてきた私の作品の中に宿る身体性について、私の作品の核となる考え方について書こうと思います。
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