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ばあちゃん



ばあちゃんが空に旅立った。
私は昔から親戚の中でもばあちゃんにそっくりで、母もばあちゃんにそっくりで。私と母とばあちゃんが並ぶと、まるで人類の進化図だねとよく従姉妹のお姉ちゃんに言われていた。
ばあちゃんは田舎に暮らしていて、会えるのはお盆や年末年始くらいだった。大人になってからは更に減って、数年会えないこともあった。

ばあちゃんは一人で床屋を経営していた。
じいちゃんが残した古い床屋だったが、ばあちゃんは腕が良かったので常連さんが何人もいた。小さい頃私も髪を切ったり顔を剃ったりしてもらっていた。とにかく働き者のばあちゃんは、休みなくいつも働いていた。

会う度に「これ、ちょっとだけど」とお小遣いをくれ「お腹空いてるだろ」と何か食べさせてくれた。与えれる物は全て与えてくれたばあちゃん。
最期は自分の想像の中のばあちゃんよりはるかに細く、小さくなってたくさんの機械に繋がれていた。あの大きな声で大きな笑顔で、私の名前を呼ぶばあちゃんは何処へ行ったのだろう?

棺桶に商売道具のハサミを入れる事が出来なかったので、ハサミが描かれた絵を入れた。最期の顔は至極美しく、清らかだった。ばあちゃんはこの世で何を得て、何を持って旅立ったのだろう?

私はばあちゃんを失った代わりに、知恵を得た。毎日精一杯生きること。愛するべき人をきちんと愛すること。執着せず欲しがる人がいればそれを与えてあげること。
ばあちゃんを知る人は、きっとばあちゃんがこの世で成したことの大きさや尊さをよく理解している。そして見習うだろう。未来のためだけじゃなくて、人間として大切なこと。
与えることこそがばあちゃんの教えだ。人が家族のためだけじゃなく、友達のためだけじゃなく、隣人のためだけじゃなく、動物のためだけでもなく、地球のためだけでもなく、与え合うことが出来たらどうなるだろう?

私は自分には与える余裕など無いから、気付けば搾取していた。ずっと与えられる者のまま居続けていた。だけど、結局それによって私は何を得たのか未だに分からない。
ばあちゃんはきっと大きなものを得てそれを持ったまま旅立ったのだろう。私もそうなりたい。

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