久しぶりに実家に帰った日には、母と夜遅くまで語ることがある。 一人暮らしをしたからか、久しぶりに帰った日には 母は私を子供としてではなく、一人の大人として接してくれるようになった。 最近あったできごと、 家族の、5年後、10年後の話 家族の、10年前の話 国の社会問題について 母の老後について 冗談と、的の外れたことばかり言う母の印象が、 ここ1年でガラリと変わってしまった。 きっと、ずっと話したかったのだと思う 私はまだ、母の子供でありたかった。 母は50代の女性だ。
文章に馴染み深いことは自負できますが、 いざ書く側に回ると、 思い浮かぶことをつらつら書いても 支離滅裂で、思考停止が起こります 正解がないものを、作り出す難しさを感じます。 正直今も、そんな感じです。 後から振り返ったときに、 消したくならないように 慎重に 慎重に... (思考停止) これからに期待です P.S. 2022.4.27 に下書きしていた文章を大掃除しました
ぴんっ、ときた文章のコレクション。 著者の彩瀬まるさんは、一人旅をよくする方で、その最中に東日本大震災にあわれた経験から、この本を書かれた。 震災にあった主人公の、親友の死に対する捉え方の変化を繊細に表現している。 なんといっても、異世界へスリップしたような比喩が美しい。 一度、別の記事でも、引用したことがある。 フカク、フカク。フカクフカクフカク。 フカク、フカク、フカク。フカクフカク、フカク。フカク。 つい、つぶやきたくなる、そんな本。
小学校、中学校、高校合わせて12年間、女子校。 大学に入って2年ちょっと経つけれど、いまだにカルチャーショックを感じる時がある。 女の子としか関わってない女の子しか周りにいなかったから、 初めて共学に来て、 大学の友達との価値観の違いにびっくりする。 兄弟は妹だけ。父親は単身赴任。 小中高と男性と関わるのは、学校の先生ぐらいで、 いま思えば、よくここまで捻くれずにすんだねって、自分を褒めてあげたい。 いや、十分ひねくれているのかも。 ちょっと赤裸々に書きますね。 女子
血液が怖い。 痛みを伴うものを見たり聞いたりすると、血の気がすっとひく。 こういうことで怪我をしたことがあるという話をきいたり、 ドラマとか映画とかの手術のシーンを見ても、息がとまる。 妹が豚の解体を見て面白かったと言っていたけれど、 私はたぶん卒倒すると思う。 大学の授業の、 カエルの解剖でもけっこうきつかったのに。 彩瀬まるさんのこの文章を読んだ時、はっとした。 そっか。 血液が怖いのでない。 捌かれる生き物と自分との境目がなくなって、その痛さを味わう恐怖を感じて
遅めに起きた日の朝、 顔を洗って、化粧水をつけて鏡を見た。ふとある人のことを思い出した。 「水分量が違いますね」 今年の1月3日のこと、 お正月で実家に帰っていたけれど、三ヶ日ともなると特にすることもなかった。いつもの休日と変わらず、とりあえず本でも読もうと外に出た。 私がよく行く本屋の中でも、蔦屋書店は特に好きだ。 専門的な本や、小説は少ないけれど、 表紙が見えるように配置してある本が多くて、 他の本屋では目につかなかった本に、出会うことができる。
集団の中にいるのに、孤独感を感じる時がある こういう感情が募ると、 自尊心と劣等感が同時に押し寄せてきて、 自尊心が勝てば、他人卑下が肥大し、 劣等感が勝てば、自分の価値を見失う 自尊心と劣等感がせめぎ合うと、 他人を馬鹿にするけれど、自己嫌悪であるという「ひねくれた人間」が完成する そして、ますます馴染めなくて、ますますひねくれる。 泥沼に落ちていく。 登校前、交通事故にあうことを期待したことを思い出す。 周りを後悔させたかった。 誰か自分のために泣いてくれるんじゃ
人によって、態度を変えている自分に気がつくと、 自分とはなんだろうと思う。 求められている自分を演じている気がする。 自分とは・・・ 数学っぽく解いてみる。 場合分けをする。 (1)〇〇と接する時の自分 ☆☆ (2)□□と接する時の自分 ★★ ・・・ (n) △△と接する時の自分 ●● したがって、 「自分」=☆☆+★★+・・・+●● なるほど、 ようするに、特定の誰かと接する時の自分は、その一部分にすぎない。 自分自身が、変化しているわけじゃなかった。 (