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英国留学記6
ごきげんよう 毎日気を張って過ごした秋学期も今週で最終週、残すところあと1日!もうすぐクリスマス休暇のシェフィールドよりお送りします。今回は弊学科(Landscape Architecture)のお話です。(サムネイルは授業で作ったもの)
Landscape Architectureとは
ランド-スケープ【landscape】
1.風景。景色。
2.風景画。
-広辞苑より
Landscape Architectureを訳すと風景建築とでもなりましょうか。公園を作ったり、都市計画をしたり、庭を作ったりと建造物以外の屋外設計全般を指す分野です。おそらく日本ではあまり有名ではないです。日本の大学に建築学科は五万とあるのに風景建築学科がほぼないのがその知名度と位置付けを物語っています。
造園文化はありますが、あれは修学というよりも職人だと思います。
都市計画で有名なのは田園調布や多摩ニュータウンだと思いますが、基本的に日本ではあまり都市計画は重要視されず、住民の個々の好みの集合体が風景となっていることが多いです。
まあそれが日本の風景を形成し、エモいと言われる所以になっているかもしれませんが…公園などは当然計画があって作られるものですが、ランドスケープの地位はあまり高くないので、基本的に砂利の地面、樹木少々、遊具少々で構成されていますね。(自治体肝入りの大公園 例:日比谷公園・代々木公園 除く)入り組んだ道や、たまにある突拍子もないデザインのお家(悪口ではない)があるのは少なくともトップダウンの厳格な都市計画がないからこそ見られるものだと思います。もしくは、地震などの災害が多く、新築の家に価値を見出す文化だからこそ見られるものかもしれません。
とにかく、日本におけるランドスケープ・アーキテクチャーの認識は「何してるの?庭作るの?」くらいなものなのです。(東京中心部には庭すらないことが多いですが)
なぜ興味を持ったのか
そんなわけで(?)日本ではあまり聞かない風景建築ですが、なぜこの分野で留学しようと思ったのか記録しておきます。(おそらく弊大学(SFC)あるあるな話なので、興味なければ飛ばしてください。)
そもそも私は建築一家出身なのですが、反抗的な子供なので、親の分野には絶対に行かないぞという強い意志を持って育ちました。しかし、結局育てられる過程で親から受けた影響は計り知れず、絵を描くことが好きな人間になってしまいました。どうしても建築には行かないと決めていたので、衣装デザイナーやら工業デザインやらいろいろな分野を検討しますが、4年間ずっと専門分野を決めずとも卒業できてしまう大学にたまたま受かってしまいます。弊大学はなんでも勉強できる、つまみ食いができるという点で大変優れているのですが、まず衣装デザインの授業はない、工業デザインもない、体系的に専門分野を作る仕組みもないということで、3年生になってようやく私は焦り始めます。「このままだと適当につまみ食いばかりして何も軸のない人間になってしまう!」
なんでも手をつけてすぐ辞めてしまう性格の私は、無理やり専門領域を決めないと将来困るということにやっと気付いたのですが、一つを専門にする=他のものを諦めるのが嫌で決断を先延ばしにしていたわけです。あわよくば決断せずに全部できるバーサーカーになりたいとも思っていました。しかし、基礎がなければ「それできみ何やってるの?」という質問に答えられずゲームオーバー確定です。まずい、これはまずい、私はそんな未来は望んでいない!何か専門分野が欲しくなったわけです。そこで、なんでもいい、とにかく決めたら動けるだろうと思って、留学を機に専門領域を決める運びとなりました。
…さて、何を専門にしようか。私の性格は飽き性です。いつもしなければいけないことがないと飽きてしまいます。しかし、植物は成長し、季節ごとに姿をかえ、常に世話を必要としています。そこで、コロナ禍にハマった庭いじりから派生した風景建築(造園)を専門にしてみよう、と思ったのです。
授業
秋学期に取った授業は3つ。ランドスケープの事例や理論を学ぶ授業、ソフトを使ってポートフォリオを作る練習をする授業、そして実際に手を動かして設計をする授業です。3つ目の実習授業はなかなかハードで、学期前半は図面の描き方を一通り学び、後半ですぐにそれを実践することが求められます。高校出立てのぴちぴちの一年生にこれをさせるのは結構スパルタだなと思いましたが、こんなものなのでしょうね…各国から学生が集まっており、絵の描き方や考え方などそれぞれの出身地の色がよく出ていて面白いです。私は大学3年目のはずなのに、1年生と同じレベルでひぃひぃ言っています(特に語学←そもそものところ)
授業自体は12週(そのうち1週間は自習なので実質11週)しかありません。クリスマス休暇を挟んだら、試験期間です。ありがたいことにうちの学科は試験ではなく最終課題の提出によって成績がつけられるので、休暇後は大学には行かなくていいというわけです。
最初は英語について行くのがやっとでしたが、終盤になるにつれて手のぬき方を覚え、またこれまで受けてきた図工・美術などの教育の成果を存分に発揮し、なんとか全部理解はできなくても自分の身になる学びを得ているのではないかと思います。
日本との違い
日本の大学で建築学科にいたわけではありませんが、何個か建築分野の授業を履修したり、両親の(特に母の)話を聞いたりした経験から思うところを書き連ねます。各方面から怒られそうで怖いです。こちらの大学では建築の授業は別であるのですが、学科は同じようです。授業の方針も私の所属する学科と変わりないものと思います。
日本の建築界は、私の目から見ると「体育会系」です。徹夜ありきのプロジェクトばかりのようです。(なんなら徹夜してなんぼと思っていそう)授業も泊まり込みの課題が平気で出たりするので、幼い頃から恐ろしい業界だと思ってきました。世の中そんなもんなのかもしれませんが…
私は、基本的に作業効率が落ちるので徹夜はしない主義です。夢中になれば徹夜も厭わないのですが、どんなに好きな分野であっても夢中になることがとても少ないのです。(22年の人生の中で完全な徹夜をしたことはないと思います。ベルサイユのばらを買った小学6年生の1日と、椅子の製作が終わらなくて切羽詰まった大学一年生の1日がこれに該当するか微妙なライン)だから建築に行きたくなかったというのもあるのですがこれはまた別の話ですね。
この大学は、少なくとも1年生1学期は、徹夜をしなくても一応終わるような課題量に設定されているようです。授業時間が1日6時間ほど取られ、それが基本全て作業時間に充てられています。徹夜をしなくとも、大学に行って効率よく作業をすれば完成までは持っていけます。また、非常に大事なのが、成績評価の対象が、完成した作品ではなく最後の成果物に至る試行錯誤であることです。毎週ある先生方とのエスキス(対話評価)を元に、自分で改良案を考えて手を動かすことが評価されます。しかも、先生が言ったことを必ずしも反映しなくていいのです(先生が明確にそう言っていました)先生のご機嫌を伺ったり、好みに寄せるような忖度は求められていないのですね。本当はもしかしたら求められているのかもしれませんが…アカハラだとか教授に阿るだとかそういうことが普通な日本の学校とは全然違うと目から鱗が落ちる思いでした。
また、学期に1度ある担当教員との面談でも、「成績なんてものは全く役に立たない、人生で成績をつけられ評価されるのはこれが最後なんだよ、そしてこの後がもっと難しい。とにかく学べ」と言われ、成績ばかり気にして枠に入っていたのは全く自分であったなあと反省しました。だからと言って簡単に優等生病が治るわけではないのですが。
日本の教育がよっぽど素晴らしいと思うこともたくさんありますが、この考え方だけは欠けているのではないかな、と思います。少なくとも私が受けてきた教育からは感じなかったなと思ったりもしたのですが、それはただ単に私の視野だったり思考回路がそこに及んでいなかった、殻を破れていなかっただけなのかもしれません。大学生のうちに気づけてよかった。日本の優等生病が治って自己肯定感が上がったらどんな未来が待っているんでしょうか…?
まとめ
ところどころ私のお気持ち表明が入っていますが、体系的に組み立てられた授業を受けるのはほぼ初めてと言ってよく、これを元に日本の大学に帰ったらもうちょっとまともにキャリア構築ができるのではないかと思っています。今週で今学期の授業は終わり、授業数だけ見れば留学生活も折り返し。帰国したらあれしたいこれしたいと考えているけれど、今しかできないことをやらなければ結局帰国しても何もできないんだぞ、と自戒しながら過ごします。それではみなさまご機嫌よう、良いお年を