6-3. 整列と全体性について 【ユクスキュル / 大槻香奈考】
「先祖が残していった家族写真にもやたらと整列しているものが多いのだけど、整列することによって擬似的に強い絆を演出するからでしょうか、謎の圧力を感じます。かつての自分は、かたいもの(整列)と、やわらかいもの(山)の対比が同居する世界に生きていた。」
――83 | 山 (2016)より
(※同タイトルの画像がweb上に無いため、引用を見送ります)
大槻さんの作品には整列した少女が多く現れます。整列ということに対して「謎の圧力を感じる」というのは、私も以前から考えていたことでした。
整列する少女の絵
引用元:https://twitter.com/KanaOhtsuki/status/1019195514644922369?s=20
そこで、ここからは「整列」についての個人的な解釈を綴ってみようと思います(※『83 | 山 (2016)』に対しての考察ではありません)。
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整列はその名の通り、整った列を指します。一列の場合もあれば複数の場合もあります。修学旅行など、大人数で撮る記念写真なんかは列を通り越してひとつの塊にさえ見えます。
「空の家71」
引用元:https://twitter.com/kanaohtsuki/status/825532931082907649?s=21
私は個人的に、この塊感にちょっとした怖さを覚えます。その塊で整っている以上、逸脱が難しいからです。そこから離れるには、ジェンガのようにバランスを取ったり(軽めの逸脱)、離れてもバレないような抜け道を見つける(完全なる逸脱、もしくは脱出)必要があります。
逸脱がバレたならば、当然良くは思われないでしょう。むしろ悪として制裁を受けるかもしれませ
ん。みんな同じように振る舞うことが暗黙の了解になっているからです。よって私の感じる「整列がもたらす謎の圧力」は、擬似的な絆の強さを超えて、このような全体主義的な怖さなのではないかと思い至りました。
ただしこの見解はあくまでも整列という「言葉」と「その状態」に対してのものであり、大槻さんの描く整列シリーズに対してのものではありません。誤解のないよう、改めて明示しておきます。
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