翳に沈く森の果て #9 森

森の奥へ

　森に入っていくとすぐに璃乃は足を止めた。木のことはよく分からない璃乃だったが、いろんな種類の木が繁り、足元にもたくさんの種類の草が生い茂っていた。あまり野生のきのこを見る機会もなかった璃乃（アキノ）は絵本にでてくるようなきのこたちが群生したのでしばらくしゃがんでじっと観察してみたりした。そのフォルムと土の中からしっかりと生きている様子がとても愛らしかった。
　
　天気はというと、相変わらずの曇天のようで、あまり光は届いてきていないようだった。ただ、いかにも山の中という土や緑たちの香りと、ふかふかの土を踏みしめながら感じたことのない足裏の新鮮な弾力に生きている本当の山、本当の森を感じられて璃乃は胸を躍らせた。これまで通ってきた暗くて深い洞窟とは違い、この森は地上の森と同じように葉音や虫の鳴く声、遠くでオオルリや違う種類の鳥たちの声もしていたし、実際頬に優しく涼しい緑の風も心地よかった。

　初めて訪れる所は大抵どこに行っても緊張感があるものだが、それさえも璃乃の冒険心を刺激し、枝から枝へと飛び進むオオルリたちを見失わないように前へと草を踏み分けながら進んでいった。
　それから何時間進んだだろう、おそらく日も落ちたと思われる頃、相変わらず深い森の中を進んでいた璃乃のいる森は静かに夜の中へと移行しているようだった。璃乃の視界はもうすっかり暗く周囲が見えなくなってきていたが、見上げると木々のてっぺんあたりは明るい月明かりを受けているようで、木漏れ月明かりが降り注いでいた。

　その時、何かを感じて璃乃は足を止めた。シダの群生の奥で何かが動いた気がした。十メートルほど前方で草木を分ける音を立てながら何かが璃乃の前方に現れた。それは「黒豹」のように見えた。本物は知らないので多分。璃乃は血の気が引いて思わず尻餅をついてしまった。けれど相手はじっと璃乃を見ているがどうも動きが穏やかだ。というか猫のようで敵意のようなものも感じない。しばらく目が合っていた璃乃と黒豹だったが、ゆっくりと黒豹が向きを変えてオオルリたちの後をついていった。

「？」

　璃乃は草むらに手を付きヨタヨタと立ち上がったがこのままだと完全に夜の森に取り残されそうで、やむなくオオルリの後を追う黒豹の後を追うことにした。

「なんでこんなことになるんだろう」

　ともかくここでは考え込まないことにしていたのでその考えをその辺に捨て草をかき分け進んだ。それからしばらく森の中を進むと開けたところに出た。見上げると、そこには星空が広がっていて、風は涼しく鈴虫の音が耳に届いていた。秋だ。
　虫の声に耳を澄まして鼻からゆっくりと息を吸ってみると鼓動が少し穏やかになっていったのだった。ぐるりと見渡すと、とても大きくて明るくて丸い月が黒い森を照らしていた。

　「あれ。オオルリと黒豹はどこ？」

　月明かりだけのこの森で目を凝らしていると、数十メートル先に建物らしきものが見えた。彼らはそちらの方へ進んでいるのが見えたので、璃乃は小走りで長い草を踏みつけながら後を追った。

　近くまで来るとそれは木で作られたこじんまりとした山小屋だった。その窓からは中にほんのりと明かりが見えた。二羽のオオルリがその小屋の前のゲートに止まり、やはり猫のような黒豹は山小屋のドアの手前で立ち止まり、璃乃の方を振り返った。璃乃は恐怖と共になぜか親近感も感じていたので、少し近づいて様子を見ていると黒豹は穏やかに体を丸めて草の上に腰を下ろしていた。
　見ると山小屋の入り口のドアは少し開いていて、黒豹も目線をよこしただけで動く様子もないので璃乃は恐る恐るその前を通り、小さくドアをノックして「こんばんは」と声をかけてみた。
　中に何かがいる様子もなかったので、ドアを少し開けてみた。

「こんばんは・・」

「やあ璃乃」

（え）

　まさかの呼びかけに璃乃は戸惑った。少し開いたドアの向こうから自分のような人、だけれどどこか中性的な雰囲気の人物がにこりと微笑んでこちらに歩いてきたのだ。その人はドアを開けて「入って」と言って璃乃を小屋に招き入れたのだった。

　「よく、ここまできたね。ようやく会えた。龍胆（リンドウ）だよ。」
　リンドウという人は、璃乃には違いないのだけれど、思っている自分自信よりも少し大人の雰囲気と男性的な雰囲気だった。龍胆は笑顔で挨拶をして璃乃に握手を求めた。
「リンドウ・・？は、はじめまして・・」璃乃も右手を出して手を握った。
「はじめましてじゃないけど、はじめまして。嬉しいな」
「ああ・・あの、ここはどういう・・リンドウさんは一体・・」
「僕は色々考えたり調べ物をしたり、ここの仲間と共に外交みたいなことをしている、という説明がいいのかな・・ここにはいろいろ調べたものや記録が溜まってる。」
　龍胆の山小屋には書棚がいくつがあって、いろんな本やノートがあるようだった。テーブルには本や蝋燭が置いてあった。
　「ゆっくりしていくといいよ。お茶を淹れるね。」
　龍胆（リンドウ）はそう言ってお茶の用意を始めたのだった。

続