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「をはらせ屋」 〜終活サポート水先案内事務所の優しい怪奇譚〜 1章 第7話(全13話)

第一章【case1.船木家の終活】 第7話

 ◇
 
 元職人が作った絶品蕎麦を平らげて腹を満たした俺たちは、しばしの休憩を挟んだ後、午後の作業に取り掛かる。
 水先案内事務所における〝生前整理・遺品整理サポートサービス〟は、依頼主の要望を聞いた上でまずは現地を確認。妥当なプランや見積もりを出し、その後は請け負う範囲によって対応が異なるという。
「今回の船木様のご要望は、家財の仕分け補助と、納戸に眠る職人道具等の断捨離サポートといった形でお間違いなかったでしょうか?」
 水先さんがいつの間にかつなぎの作業服に着替え、アップヘアに鑑定用インテリメガネという効率重視スタイルで立っている。
(いやまて、可愛いんだが……?)
 相変わらず時間の使い方に無駄がなく隙がない。……そして可愛い。
 密かに胸をときめかせる俺の隣で、春子さんにお茶を入れていた秋男さんが答えた。
「そうそう。そもそもわたしら夫婦はね、お互い物欲が乏しいというか……ピンピンしていた頃の春子が特に整頓好きだったから、頻繁に断捨離していたこともあって、家に物自体が少ないんだ。わたしも、基本はあるモンでなんとかするような性格だし」
「なるほど」
「まあ、そうはいっても……お恥ずかしい話、昔は物の管理を全て春子に任せとったんで、正直、生活に必要なもの以外となると、屋内のどこになにがあるのか、完全に把握できていない部分も多くてねえ」
「さようでございましたか」
「ああ。そこで今日は、水先さんたちに手付かずになっている家財チェックの補助をしてもらいたいっていうのと、納戸にしまいっぱなしになっている職人道具の整理を手伝ってほしくて」
「かしこまりました。一見したところ問題ないかとは思いますが、念のため一度全体の状況を確認しますね。秋男様、お手数ですがご同行いただけますでしょうか」
 水先さんはそう言って、秋男さんを伴って屋内の確認を始める。
 今回の船木さん宅のように家に物が少なく、少ない人員で手が回りそうな案件については、見積もり後、当日中に作業を進めて当日中に完了させるケースも多いというが、もしもゴミ屋敷のように物が溢れている物件だったり、特殊な清掃が必要となるケースだとそういうわけにもいかず、対応が難しいと判断した案件については速やかに専門業者に取り次ぎ、仲介に徹するのが基本スタンスだという。
 そのためのチェック、というわけなのだが――。
「――確認事項は以上となります。やはり問題なく弊社で対応可能でございます。今回のご要望に対する予定作業時間と、お見積もりはこちらになります。よろしければ早速作業に着手いたしますが、いかがでしょうか」
(は、早い……)
 水先さんは全てが早い。あっという間に屋内のチェックを終え、二人は俺と春子さんの待つ居間に戻ってきた。
「おお、そうか。助かるよ。じゃあここに名前を書けばいいかな?」
「はい。よろしくお願いいたします」
 二人の間で書面のやり取りが終わり次第、俺たちは手分けして早速作業に移る。
 まずは一番物の多い納戸の職人道具整理からだ。
『あの世に道具は持っていけない』を合言葉に、不要なものを処分してスペースを確保する。
 本当にどうしても手放したくないものだけを手元に残し、不要な物は『処分BOX』へ。すぐに判断できないものがあれば一時的に『保留BOX』に仕分けておき、一定期間保管の後、思い直しがなければそのまま処分、あるいは古物屋へ鑑定に出す、といったような流れ。納戸が終わり次第、依頼人の秋男さん立ち会いのもと、使用頻度の低そうな範囲から随時断捨離を進めていく。
(合言葉は『あの世に道具は持っていけない』か……)
 作業が分担となり、俺は居間に残って、水先さんと秋男さんがジャッジした『処分BOX』内の袋詰めや、古物屋に回す品物の手入れや整備といった作業に回る。
 念のため不正等がないよう、監視役としてそばに置かれたのはボンヤリと仏壇を眺める春子さんだ。当然のことながら、あまり監視されているようには感じられない。
 俺はこれから古物屋に旅立っていくであろう、秋男さんの思い入れの詰まった職人道具を一つ一つ丁寧に手入れをしながら、先ほど視た黒い影の奇妙な行動についてボンヤリと思い返す。
 先ほど黒い影は、確かに遺影を指差すような仕草をしていた。
 まるで俺に何かを訴えているかのように、ただジッとその遺影を――自分の顔を見つめて。
(今までにどこかで会った顔だっけ……?)
 いや、それはない。断言できる。
(遺影の夏樹の顔に、何か変なものでも付いてた?)
 俺は両目とも視力がいい方だけど、これといって気になる点はなかった……と思う。
(うーん……?)
 じゃあなんだ? 何が伝えたかったのだろう。
 わかるはずもない答えを考えていると、ふいに「ふう〜。ちょっと休憩」と言って、秋男さんが居間に戻ってきた。なお、一緒にいたはずの水先さんの姿はない。
「納戸の断捨離、もう終わったんですか?」
「んにゃ。あと一息なんだが、その一息が老人には一苦労でね。水先さんにも休憩を挟まないか声をかけたんだけど、今日中に終わらせたいからってんで、わたし一人で戻ることになったんだ」
「そうなんですか。立ち会いはいいんですか?」
「水先さんにも聞かれたけど、構わんよ。もう納戸の大部分は終わってるし、うちには盗まれて困るようなものもない。何より、あんたらのことも信用しているからね。……っと、ほら春子。それは危ないから彼に任せてゆっくりしてなさい。今、茶でもいれてくるから」
 古びたそば包丁を、机上にあった布巾で磨こうとしていた春子さん。それを制した秋男さんは、一旦台所に引っ込むと、トレーに乗せた蕎麦茶を俺と春子さんに差し出してくれた。
「ありがとうございます」
「ん」
 秋男さんは渋い顔で頷き、俺の向かい側に腰をかける。そして自分用の蕎麦茶を啜ったかと思えば、時折、春子さんの様子を気にかけつつ、なんとはなしにといった感じで呟きを落とした。
「テラヤくんと言ったか」
「三瀬です」
「そうか。君は大学四年生なんだって?」
「はい」
「就職が決まらないんだって?」
 う、と言葉に詰まりつつも、情けない声で「はい」と答える。
「そうか。友達はいるのか?」
「えっと……いることはいるんですが、今は予定が合わなくて、あまり会っていません」
 半分嘘だ。数少ない気心の知れた友人はみんな内定が決まっていて、会えば、話せば、自分が惨めになるだけだから、そもそも連絡すら取っていないだけ。
 微妙に目を伏せる俺に向かって、秋男さんは続けた。
「そうか……。話ができる家族はいるか?」
「今一人暮らしなんですけど、両親とはあまり連絡とっていません」
「ふむ」
「両親以外には……俺はじいちゃん子で祖父もいるんですが、遠方なのでなかなか会う機会もなく……もう何年も会っていません」
 理由は先ほどと似たようなものだ。就職が決まらない自分が情けなくて、あわせる顔がない。内定とれたら連絡しようと思ったままなんの報告もできず、今日に至る。
 俺の言葉に神妙に頷いた秋男さんは、
「そうか……」
 そう呟いて、蕎麦茶を一口、啜った。
 屋内は静かだ。外は時折、近接する遊水池公園から子どものはしゃぐ声が聞こえてくる以外、大きな物音もない。都心の喧騒から隔絶されたような、長閑な昼下がりが平家を包んでいる。
「テラ……ゴホン、ミツセくん」
 しばしの沈黙を挟んだ後、秋男さんが再び口を開いた。
「はい」
「人間、いつ別れが訪れるかわからない」
 その言葉は、辛い過去を持つ俺にとって、充分すぎるほどの説得力を持っている。
「わたしみたいに悔いが残らんよう、会える時に会っておくんだぞ」
「……はい」
 俺は、実感のこもった秋男さんの呟きを素直に受け止めるよう、静かに頷く。
 すると満足そうに目を細めながらも、秋男さんは脈略のない質問を続けた。
 例えば、『恋人はいるのか』とか『夢はあるのか』とか。
 あるいは、『蕎麦は好きか』とか『嫌いな食べ物はあるか』とか。『勉強は好きか』『苦手な教科はなんだ』『趣味はなんだ』『最近はどういう物が流行っているのか』とか。
 最後には、『大学とは楽しいところなのか』と、尋ねてきた。
「大学は……どうですかね」
「ふむ?」
「多分、本来なら有意義に学んだり、楽しく過ごせる場所なんだと思います。でも俺は……ちょっと色々あって。途中から上手く楽しめなかったというか……」
「……」
「上手く言えないんですけど、ぼやっとしてるうちに終わってしまいそうな感じです」
「そうか……」
 別に、秋男さんの質問に律儀に答えたからってどうってことはない。決まり文句のように『そうか』しか返ってこないのだけれど、それでもなぜか、悪い気はしなかった。
 選考落ち続きで誰にも求めてもらえない苦しさを抱えていた俺にとって、自分の存在に、少しでも興味を持ってもらえたことが地味に嬉しかったからだ。
 面白みのない俺の答えなんか聞いてて秋男さんは楽しいんだろうかと疑問にすら思うけれど、秋男さんはこのやりとりを交わすこと自体を堪能しているようだった。
 おそらく、俺に夏樹さんの影を重ねて、かつて死んだ夏樹さんに聞きたくても聞けなかったことをぶつけて、気持ちの消化をしようとしているんじゃないかと、そんなふうに俺の目には映っていた。
 


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