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「をはらせ屋」 〜終活サポート水先案内事務所の優しい怪奇譚〜 1章 第11話(全13話)

第一章【case1.船木家の終活】 第11話


  ◇

 船木さん宅を後にし、社用車で水先さんが向かったのは水先案内事務所だ。
 一旦事務所を経由して、準備を整えてからまたどこかへ行くのだろうと思い、言われた通りに応接室で大人しく待っていると、ほどなくして水先さんがどこかから戻ってきた。
 彼女は開口一番に『謎が解けました』といい、何がどうなってそうなったのかと俺を驚愕させたが、残念ながらその場で種明かしはされず、また、時間も遅いことから、後日、船木さん宅に出向きそこで改めて説明をするということで、その日はアポ取りだけで解散という流れになった。

 *

 ――数日後、船木さん夫妻との約束の日。
 当然のごとく同行を希望していた俺は、水先さんの運転する車で再び船木さん宅へ。
 この日の水先さんは、いつもの上品なジャケットにパンツスタイルという正装。
 俺も水先さんに倣い、清潔感のあるジャケットに黒系のパンツという、落ち着いたエレカジ風スタイルをチョイスした。
「おお、よくきてくれたな。ささ、上がって上がって」
 まるで上京している息子の里帰りを喜ぶ父親のように、温かく俺たちを出迎える秋男さん。挨拶を交わして屋内に上がらせてもらい、居間までやってくると、春子さんが縁側でぼーっと何もない庭を眺めているところだった。
 水先さんと俺は、春子さんにも軽い会釈と挨拶をしたが、彼女からは曖昧なお辞儀と「うん?」という薄い反応が返ってきただけで、すぐにまた、無言で視線を逸らされてしまった。
「それにしても……いやはやすごいな。あの用紙の謎、もう解けたんだって?」
 座卓を囲む俺たちに、お気に入りと思しき蕎麦茶を差し出しながら、感心したようにこぼす秋男さん。
「ええ。では、早速……」
 その問いに確かな頷きを見せた水先さんは、自身のビジネスバッグから何やら使い古したノート数冊と、分厚い日記帳のようなものを数冊を取り出すと、それを丁寧に机上へ並べはじめた。
「……? これは……?」
「こちらは弊社で保管していた夏樹様の遺品である勉強ノートと、春子様の本心が綴られた数十年分の日記になります」
「なっ」
「……!」
 水先さんから思いもよらない言葉と代物が出てきて、目を丸くする秋男さんと俺。
「ちょ、まっ。『水先案内事務所で保管』……? そ、それは、いったいどういうことですか?」
 のっけから何がどうなってそうなったのか全く理解が追いつかず、俺は動揺したように尋ねる。
 水先さんは落ち着いた動作で鞄の中から預かっていた豆封筒を取り出すと、秋男さんの前にスライドさせた。
「順を追ってご説明いたしますね。まずはこのお控え用紙ですが、こちらは、わたくしども『水先案内事務所』の『預かり証』でございました」
「へっ?」
「な、なぬ?」
「現在使用しているものとは多少デザインが異なるのですが、ここに入っている角印は間違いなく弊社のものですし、ここに記されている字も、事務所の先代所長であったわたくしの父のもので間違いありません」
「な、なんと……」
「ま、まじすか……」
 まさかそんな身近なところに答えが転がっていたとは露も思わず、間抜けな声をもらす俺。水先さんは神妙な面持ちで頷き、その先を続ける。
「わたくしも半信半疑でしたので、事務所に戻って慎重に金庫内を確認したところ、確かに春子様からお預かりしていたお品物が数点と、その当時担当していた父からの申し送りメモが見つかりました」
「おお……」
「す、すごい……。ということは、そこにいる春子さんが、水先さんのお父さんの代の時に『水先案内事務所』を利用して『終活』をしていたということなんですか?」
「ええ。春子様は夏樹様の死を境に、ご自身の『終活』を意識するようになったようです。やがて専門業者である弊社とコンタクトをとるようになり、何かがあった際の備えとして、ご自身の大切なものを私共にお預けになったと、そう申し送りメモに書かれておりました」
 そういうことだったのか……と、感心するように縁側にいる春子さんを見たが、相変わらず春子さんは自分の話題があがろうとも無反応だ。
 いまだに驚きが隠せないといった様子の秋男さんは、何か思案をした後、ポツリとこぼす。
「そうか、そういうことだったのか……。だからあの時、春子は水先さんのところのチラシを持っていたんだな……」
「あの時?」
「あ、いやこっちの話だ。ほら、わたしらが水先さんの事務所を頼るきっかけとなったのが、春子が大事そうに持っていた事業案内のチラシだったからね」
 言われて思い返す。そういえば確かに、水先案内事務所で話を聞いた際、事務所に来た経緯をそのように説明していたっけ。
 秋男さんは何度も自問自答するようにうんうんと頷き、独り言のように呟く。
「いやあ……確かになぜあんなビラがうちにあったのか多少は疑問に思ってたんだが、まあ、よくあるポスト投函のものだと思って、さほど気に留めてはいなかったんだよ。でもそうか、そうだったか……。色々忘れてしまったとはいえ、きっと春子は、わたしにこのことを伝えようと、大切に大切に持ち続けてくれていたんだな」
 春子さんが託した『夏樹さんの遺品』と『日記帳』を、目を細めて指先で撫でていく秋男さん。
 だがしかし――。
「……」
 わずかな沈黙の後、その指が微かに震え始めた。
 予期せぬ預かり物が見つかって嬉しく思う反面、春子さんが伝えようとしている夏樹さんの情報や、春子さん自身の本心を知ることが怖いのかもしれない。
 しばらくの間、頭を悩ませるように、無言で机上に並べられたノートや日記帳を眺める秋男さん。もちろん、ページを開かなければ中に何が書いてあるのかはわからないわけで、緊張した空気が居間に充満していく。
 水先さんは何も言わずただ静かに秋男さんの心が整うのを待ち、もちろん俺も、水先さんの隣でその時を待った。
 ふと――。
「……すまんな、臆病者で。わたしは……」
 秋男さんが額に汗を滲ませ、弱々しく勉強ノートや日記帳から目を逸らそうとしたその時、いつの間に秋男さんの隣へ移動していたのか、ちょこんと正座した春子さんが、夏樹さんの勉強ノートを持ち上げて、そっと秋男さんの方へ差し出していた。
「……え?」
「は、春子さん……?」
「春子様……」
 それまで全く興味を示していなかったというのに、何かを思い出したのだろうか。
 それとも、ただの気まぐれなのか。
 春子さんは無垢な表情で夏樹さんのノートを秋男さんに差し出したまま、やんわりと口を開いた。
「あなた、これ」
「……」
「これ、読んでください」
 まるで幼い子どもが大切な絵本を読んでくれとせがむかのように、純粋な眼差しで秋男さんに訴える春子さん。
「春子、これがなんだか覚えてるのか?」
 秋男さんが驚いたように問いかけると、春子さんは少し首を傾げて思案した後、ふるふると首を横に振った。
「いいえ」
「わからないのかい?」
「そうねえ……でも、あの子、がんばってたから」
「……」
「だから……あなたに知ってほしいのよ」
「……そうか」
 少ない言葉で必死に訴えかけてくる春子さんに、優しく目を細める秋男さん。秋男さんのその瞳にはうっすらと涙の膜が張られているようだった。
「そうだな。わたしはずっと、向き合いもせず逃げてばっかりだったもんな」
「……」
「大丈夫、もう逃げないから。夏樹が遺した想いと、君が託した想いを、今からちゃんと読ませてもらうよ」
 その言葉がきちんと春子さんに伝わったのかどうかはわからない。けれど、秋男さんが春子さんの手からノートを受け取ると、春子さんは満足したような表情で元の縁側に戻っていく。
「……」
 ようやく秋男さんの決心がついたようだ。
 秋男さんは春子さんから手渡された夏樹さんのノートをじっと眺める。
 使い古していることはよくわかるが、表紙には何も書いていないため、なんの科目のノートだかはよくわからない。
 確か夏樹さんは法学部という話だったから、法律関係の勉強ノートだろうかと目算を立てていると、秋男さんが意を決してぱらりとページを捲った。
「これは……」
 すると、ひと目でそれが何についての勉強なのかを悟った様子の秋男さん。
 何が書かれているのか気になって仕方がなかったが、無粋に身を乗り出すわけにもいかないため、ごくりと喉を鳴らしてその続きを待っていると、秋男さんは数ページを黙読してから、確信したように呟いた。
「これは全部……蕎麦に関するメモ、か……?」
 それまでただ黙って成り行きを見守っていた水先さんは静かに頷き、秋男さんの答えに賛同してみせる。
「はい。失礼ながらそちらの夏樹様のノートのみ、中身を確認させていただきましたところ、どうやら夏樹様は、蕎麦の歴史から、蕎麦の打ち方、出汁の取り方、技術全般をはじめ、経営に関する細かいノウハウや再建に必要な情報を、そちらのノートに書きまとめていたようなんです」
「な、なんで……」
「これはあくまでわたくしの仮説ですが、おそらく夏樹様は……廃業された秋男様の大切な蕎麦屋を、もう一度自分の手で再建させたいと、そう考えていたのかもしれません」
「……」
「詳細は、こちらの日記帳をお読みいただければお分かりになるかと存じます」
 水先さんの口から飛び出した思いもよらない真実に、秋男さんは驚きで放心するように宙を仰いだのだった。


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