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「をはらせ屋」 〜終活サポート水先案内事務所の優しい怪奇譚〜 1章 第9話(全13話)

第一章【case1.船木家の終活】 第9話


  ◇

「わたしもな、後悔ばかりなんだ。あのとき夏樹に、春子に、もっと正面から向き合って、話を聞いてやっていればと……」
 ひと通りの後悔を吐き出し、力なく苦笑する秋男さん。
 秋男さんも俺と同じように、強い自責の念を抱えて生きていたようだ。理由や事情、状況は違えど、それぞれが過去の過ちに囚われ、悩み、苦しみ、前に進めないでいる。
「なんだか……君の話を聞いてやるつもりが、つまらない話を聞かせてすまんな」
「そんなことありません。秋男さんの気持ち、すごくよくわかります。でも……」
「でも?」
「俺はやはり、その全てが、秋男さんのせいだとは思えないです」
「テラセくん……」
「三瀬です」
「す、すまん」
「いえ。それはともかく、誰でも家族を事故で喪ったらそう簡単には立ち直れないと思いますし、きっと春子さんだって、対話ができずに悲しみや苛立ちこそはしたかもしれませんが、秋男さんのこと、心から本気で責めるようなことはなかったんじゃないかなって、そんな気がするんですが……」
 俺は、隣でぼんやり仏壇を眺めている春子さんに向かって、「ね、春子さん?」と語りかけてみるが、聞こえていないのか返事は返ってこない。俺が苦笑していると、秋男さんは、
「ありがとう。優しいんだな、君は」
 と、優しく目を細めてくれたが、すぐにその視線は切なそうに手元へと落ちた。
「そうだといいんだが……でも実際、わたしが引きこもっていた当時の春子は、話を聞かないわたしに対し、相当怒っていたと思うんだ」
「どうしてそう思うんです?」
「それは……」
「――大変お待たせいたしました。全体の仕分け業務、完了いたしました」
「ふおっ」
「うおびっくりしたっ」
 突然、背後から声をかけられ、驚きで鼻から抜けるような声をあげる秋男さんと俺。
 振り返ると、いつの間にいたのか、若干煤に汚れながらも、いつも通りのきりりとした佇まいで、何か封筒のようなものを手にして立っている水先さんの姿があった。
「み、水先さん! も、もう終わったんですか?」
「はい。ご要望の範囲内は全て完了しました。仕分けした家財は、一時的に廊下と納戸に分けて仮置きしてあります。休憩が終わり次第、秋男様にチェックしていただいて、不用品を処理したら本日の作業は終了です」
「そ、そうすか……」
 あ、相変わらず早いなおい……。
 度肝を抜かれる俺と同じく、秋男さんもかなり驚いた表情で感心している。
「わ、わかった。にしても、ずいぶん早くに終わるもんなんだなあ」
「丁寧かつ迅速に、が、弊社の基本ですから」
 顔色ひとつ変えず、くい、とメガネを押し上げる水先さん。相変わらず無表情だけれど、どことなく得意げな口元が可愛い。
 なんて思っていると、彼女はスタスタと秋男さんの側までやってきて、彼の斜め後ろあたりでスッと跪き、手に持っていた白い封筒と茶封筒をそっと差し出した。
「それはそうと、秋男様。寝室に飾られた絵画の額縁裏から、このようなものが」
「うん?」
 まるで王様に賄賂を差し出す家臣のような動きで、周囲を憚りながら交わされる密談。
「……?」
 手渡された二枚の封筒に視線を落とした秋男さんは、顔いっぱいに疑問符を浮かべながらも順に中身を確認していく。
 一枚目の白封筒には、どうやら複数枚の紙幣が入っていたようだ。
「おお……。これは、春子のへそくりだな」
「へそくり?」
 目を瞬く俺と、無表情かつ無言のまま待機する水先さん。
 秋男さんはくすくすと笑い、どこかおかしそうに話を続けた。
「ああ。春子は昔っからこういう大事なものを額縁裏に隠す癖があってね。いやまさか、少ない生活費をやりくりしてここまでの金額を貯め込んでいたとは思ってもみなかったけども……」
 なんとも古典的なお宝が発掘されたものだ。当の春子さんは、自分のへそくりが明るみに出てしまったというのに、我関せずといった調子で、相変わらずぼんやりと仏壇を眺めている。
「それでこっちは、と……」
 確認の終わった白い封筒を脇に置き、今度は二枚目となる茶封筒を開ける秋男さん。中から出てきたものは……。
「うっ」
「どうかしたんですか?」
「い、いやあ、その……はは」
 何かよからぬものが出てきたようだ。秋男さんは乾いた笑いを浮かべて、中身を今一度、封筒の中にしまい込んでいる。
「……? 何かまずいものでも入ってたんですか?」
「……」
 首を傾げて尋ねてみたが、肯定も否定も返ってこない。
 どうしたんだろうと疑問に思っていると、秋男さんはやがて腹を括ったように苦笑して、茶封筒をこちらに向けて差し出してきた。
「あー……まあ、これは、その。ちょうど今君に話していた、『春子が相当怒ってたあかし』と、いうか……」
「……??」
「うん、まあ、君たちには隠し事をしたくないし、直接中を見てくれて構わないよ」
 歯切れ悪くもそう促してくれる秋男さん。おそらく、自分の口からは言い難いものなのだろう。俺は会釈を送ると、お言葉に甘えて封筒を持ち上げ、慎重に中身を確認する。
 中からは少々黄ばんだ用紙が一枚出てきた。その用紙とは……――。
「り、離婚届……⁉︎」
 思わず頓狂な声をあげてしまった。
 まぎれもない。それは、春子さんの欄だけが埋められた〝離婚届〟である。
「いやはや、お恥ずかしい限りなんだが……。実は以前にわたしも、偶然、これと同じものを屋内で見つけてしまったことがあるんだ。ちょうど夏樹が死んで家に引きこもってた時かな」
「あ、あ〜……」
 秋男さんが言わんとしていることをなんとなく察し、微妙な相槌を打つ。秋男さんは苦笑気味にその先を続けた。
「その時はまだ書きかけで、寝室の文机の中にそっと隠されていたんだが……それを見て、さすがに愛想を尽かされたんだろうと焦ったし、このままじゃ夏樹へも顔向けができないと思ってな。それで、一念発起して腰をあげ、逃げるように仕事に明け暮れるようになった、というのが、引きこもりを脱した本来の理由だったんだ」
 なるほど……と、納得したように深く頷いてみせる。
 確かにこんなものを見てしまっては目が覚めるだろうし、春子さんに話しかけるのが怖くなってしまった心情もわからなくはない。
 おそらく先ほどは、あえて触れるような内容でもないことから多くを語らずにいたのだろう。思い出したように鎮痛な面持ちを浮かべている秋男さんの表情が、なんとも痛ましい。
 やがて秋男さんは気丈に顔を上げ、話を締めくくるように続ける。
「まあ、これを用意されていた時点でどう足掻いてもすでに遅かったのかもしれんし、もし病が進行していなければ、今頃春子は駄目なわたしなんかとは縁を切って、どこかで一人、幸せに暮らしていたのかもしれんと思うと、今でも申し訳ない気持ちになるんだが……」
「……」
「今の春子の状態じゃ、どこへ行っても彼女だって不安で心細いだろう? だからせめて、わたしがピンピンしているうちは、精一杯自分がそばで面倒を見てやりたいと思ってな」
 そうか。それで秋男さんは、甲斐甲斐しく春子さんの世話を焼いていたというわけかと、一人納得する俺。
 自分のことが話題に上がっていても、春子さんはまるで反応を示すことなくぼんやり仏壇を眺め続けている。
 秋男さんは、そんな春子さんを心底申し訳なさそうに見つめており、悲しいことに二人の視線は決して交わらない。
 離婚届という究極の切り札を隠し持っていた春子さんの真意がわからないだけにフォローの言葉もすぐには思い浮かばず、なんとも居た堪れない気持ちになってきた。
 シンと静まり返る空気。ふと、水先さんがその沈黙を破った。
「秋男さま。失礼ながら、途中からお話を聞かせていただいていたのですが……」
 水先さん、いつからこの部屋にいたんだろう。
 俺の疑問はさておき、きょとんとしたように秋男さんが水先さんに向き直る。
 水先さんは遠くを見つめる春子さんに視線を留めたあと、ゆっくりと丁寧な口調で言葉を紡いだ。
「離婚届が出てきたからといって、春子様が完全に愛想を尽かすほど激怒し、秋男様との婚姻関係の終焉を本気で考えていたと一概に決めつけてしまうのは、少々早計ではないかと存じます」
「う、ううむ。そうかねえ? そう思いたいところなんだが……物が物だからこればっかりは……」
 明らかにしょぼくれた顔で滅入るようにぼやく秋男さん。ふいに水先さんは、自身の作業着の胸ポケットから何かを取り出し、それを秋男さんの前へ差し出した。
「……?」
「剥き出しでしたので別途保管しておりましたが、こちらは、先ほどの封筒と一緒に出てきた掘り出し物になります」
 差し出されたものは、どうやらL判サイズと思しき一枚の古い写真だ。
 写真を受け取った秋男さんは、目を見開きながらも、まじまじとそれを見つめる。
「これは……」
 そこに写っていたのは、若かりし頃の秋男さんと、春子さん、そして生まれたばかりの夏樹さんだ。おそらく写真館で撮ったものだろう。わんわんと泣いている夏樹さんを、変顔で必死にあやす蝶ネクタイが曲がった秋男さん。その傍らでそれを見守り、幸せそうに笑う春子さん。
 温かく優しい空気に包まれた三人のひとときが、確かにそこに存在している。
 秋男さんは驚いたように写真を見つめ、声を震わせた。
「これは……夏樹の……一歳の時の誕生記念写真……」
「さようでございましたか。とても素敵な記念写真だと思いますし、そちらに写っている春子様、わたくしにはとても幸せそうに見えます」
「それはまあ、この頃はまだ……」
「そうですね。夏樹様が幼い頃は、家族三人とても幸せな日々を暮らしていたと、以前にもおっしゃられていたことを記憶しております。それを踏まえた上で、なのですが……」
「ふむ?」
「もしも春子様が本気で離婚を考えていたのなら、このように幸せに溢れた写真を、離婚届と同じ場所に保管するでしょうか?」
「そ、それは……」
「わたくしが春子様の立場なら、離婚への決意が揺らいでしまうような写真は、同じ場所へは保管しないと思います」
「……」
「ではなぜ共に保管されていたのか。可能性の一つとして……『勢いで離婚届を用意したが、結局、秋男様を想う気持ちの方が勝り使用はしなかった』『用紙を破棄しようかと思ったが、何らかの理由があってそれはせず隠しておくことにした』『この先、感情が昂ってこの用紙を勢い任せに使いたくなった時がきても、自制できるようお守り代わりとして写真を添えた』……等。そのような前向きな経緯があったのではないかと、推察しております」
 水先さんの推論を、驚いたように聞き入れている秋男さんと、感心するように聞き入る俺。
 もちろん、夫婦のことは秋男さんと春子さんにしかわからないし、春子さんの本当の気持ちも春子さん自身にしかわからないところだけれど、俺にはその推論が妙に腑に落ちて聞こえたし、できればそういった経緯であってほしいなと、心底願うばかりだった。
 秋男さんは震える唇をかみしめてその写真を見つめた後、儚げな目を伏せながらそっと手元に写真を置いた。
「そう、か……」
「あくまでもわたくし個人の意見にはなりますが。悪戯に悪い方向へ考える必要はないのではないかと、そうお伝えしたく……」
「ああ、わかっている。ありがとう、水先さん。わたしはもうてっきり、春子の心は離れているものだとばかり思っていたから、ほんのわずかでもそういう可能性が残っているんだと思えば、多少なりとも心が救われる思いだよ」
 力なく笑う秋男さんの言葉に、脇にいる春子さんは正しい回答を示すこともなければ全く興味を示すこともなく、置かれた家族写真だけをじっと見つめる。
 やがてしわしわの指先でそれを掬い上げたかと思えば、懐かしむように目を細めていた。
 そんな春子さんを、心底申し訳なさそうに見つめ続ける秋男さん。
 交わらない二人の視線がもどかしい。
 一生このまま、二人はすれ違って行くことになるのだろうか。
 どうにかしてあげたいけれど、俺にはどうすることもできなくて……。
 ――結局、その後。
 束の間の休憩の後、作業を再開した俺たち。永遠に解けることのない謎を胸に抱えたまま残務処理を進め、仮置きしていた家財の処理を全て終えた頃には、時計の針が十九時を回っていた。


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