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「をはらせ屋」 〜終活サポート水先案内事務所の優しい怪奇譚〜 1章 第10話(全13話)

第一章【case1.船木家の終活】 第10話


 ◇

「以上を持ちまして、本日のサポート業務は終了となります」
 午前中の書類作成から始まり、午後の生前整理まで。ずいぶんと長丁場ではあったが、水先さん一人がこなした作業量を考えれば、あっという間の一日であった気がしないでもない。
「先ほどもご説明しました通り、本日回収できなかった大型家財の不用品に関しましては、後日、専門の業者が引き取りに参りますので、その際にはお手数ですがお立ち合いくださいますよう、よろしくお願い申し上げます」
「ああ、わかった。本当に何から何まで手配してもらって助かるよ、ありがとう」
 居間に春子さんを残し、玄関先まで見送りに来た秋男さんに深々と頭を下げられる。
 本当はつい先ほどまで夕飯を食べて行かないかと誘われ続けていたのだが、『秋男様も春子様もお疲れでしょうから』と、そこはさすがに水先さんが丁重にお断りしていた。
 玄関で靴を履き終えていた水先さん――いつの間にかジャケットスタイルに戻っている――は、「いえ、お役に立てて何よりです」と軽い会釈をすると、大きめな文字でまとめられた資料を手渡し、今後についてのアナウンスをする。
 その説明によると、これで一旦、現段階での船木ご夫妻の終活サポートは終了するらしい。
 今後、たとえば体調を崩して入院が必要になったりだとか、生活環境が大きく変わり、サポートが必要になった際に再び連絡をもらい、必要に応じて水先案内事務所が可能な範囲のケアや仲介をしていくことになるのだという。
 水先さんの手腕の賜物というべきか、本当に瞬く間で怒涛の二日間だった。
「テラヤくん、君も色々とありがとう」
 結局俺は最後までテラヤ扱いではあったけれど、秋男さんに心のこもった感謝を述べられると、悪い気はしなかった。
「ミツセですが……こちらこそ、蕎麦、すごく美味しかったです。勉強させていただき、ありがとうございました」
 会釈と最後の挨拶を交わし、さりげない笑みを交わしてから、俺と水先さんは玄関を出る。
 船木さんは、近隣の駐車場に向かう俺たちの姿が見えなくなるまで、玄関先で俺たちのことを見送ってくれていた。
 温かい視線を背に感じつつ、無言で歩きながら考える。今後のことについてはまだ水先さんと何も話してはいないが、おそらく、船木さんの件に関して当面これ以上の進展もないだろうことから、俺の職場体験も、今日で終了となるのだろう。
 日数にしてたった二日間の出来事とはいえ、俺にとってはずいぶん濃密な時間だった。
 色々勉強になったし、『終活』という未知なる世界を物凄く身近に感じることができたし、達成感もあると言えばあるのだが……。
「……」
 俺にはどうしても、すっきりとしないわだかまりが残されていた。
 ――いくら救いを得たといっても、やはり秋男さんには払拭しきれない罪悪感が残るだろう。彼はこの先ずっと、そんな想いを独りで抱えて、もの言わぬ春子さんとすれ違いを生じさせたまま、後生を送るしかないのだろうか?
 他人事とはいえ、それを思うとなんとも心苦しい気持ちになったし、それに俺は、いまだにあの黒い影の不可解な行動の謎も解けていなかった。
(結局、あれから黒い影もすっかり現れなくなったし、あの行動の謎も解けないまま……)
「……さん……」
(これで本当に、終わりでいいのか? 別に、正式な職員でもない俺がでしゃばるようなことでもないけど、でも……)
「……ツセ……さん」
(俺……もっと船木さんの役に立ちたかった)
 短期間とはいえ、偶然繋がった縁。俺にとってはそれが、思っていた以上に忘れ難い出会いとなっていて、船木宅を後にした今も、業務終了を目の前にした今も、気がつけばそんなことばかり考えていた。
「三瀬さん?」
「あ、はいっ」
 ――しまった。物思いに耽りすぎて、名前を呼ばれていたことに全く気づいていなかった。
 俺と水先さんは、いつの間にか目的の駐車場の社用車前まで到達しており、水先さんがキーを使ってロックを解除しているところだった。
 俺は慌てて姿勢を正し、水先さんを見る。彼女はジト目で俺を見つめ、
「ずいぶんと考え込んでいたようですが、何か気掛かりなことでも?」
 と、疑うように呟いてから、ドアを開けて運転席に乗り込んだ。
「あ、いえ、その……」
 俺は冷や汗をだらりと垂らしつつ、誤魔化すように苦笑を滲ませて助手席に乗り込む。
 ドアを閉めると、二人だけの静かすぎる空間が出来上がった。
「……」
「……」
 一応の上司と部下、怪しんでいる水先さんと怪しまれている俺、といった構図さえなければ、絶世の美女と密室に二人きりというソワソワした時間になったかもしれないのに、現状、とてもじゃないがそんな浮ついた気持ちにはなれない。
 むしろ、ルームミラー越しにめちゃくちゃ水先さんに凝視されている。
(こ、これは圧か? 圧なのか……?)
 一人被害妄想を広げる俺。……というかだめだ、勘が良さそうな水先さん相手に隠し事をできる気がしない。
 いっそのこと、非科学的な黒い影が視えてしまう霊感体質であることを、正直に話してしまったらどうだろう?
 甘い考えに心が揺らぎそうになるが、ドン引きされるかもしれない未来に慄き、冷静な自分が歯止めをかける。
「い、いや、本当に……何でもないです」
「本当に……?」
「は、はい」
「呼びかけに応じられないほど、何かを深く考え込んでいたように見えましたし、もし人にはいえない・・・・・・・悩み事があるなら……」
「そっ、それは、その……あ、ほら! あの離婚届、春子さんはどういう意図で額縁裏に隠してたのかなって。答え合わせができないのは百も承知なんですけど、やっぱりその、真相が気になっちゃったっていうか……」
「……」
「ほ、本当です。その、よく考えてみれば離婚届って、そんなに大事に隠し持つようなものなのかなって、ちょっと疑問に思っ――」
 ジト目で見てくる水先さんに尻込みしながらも、必死に言い訳を並べていて……ふと、言葉を止めた。
 ――大事に隠し持つ?
 そう思った理由は他でもない。秋男さんが、『春子は昔っからこういう大事なものを額縁裏に隠す癖があって』と話していたからだ。
「大事なものを……隠す……」
「あの、三瀬さん?」
 その時俺と水先さんは、シートベルトを着用しようとしていた。
 しかし俺は、その途中でハッと顔をあげ、手を止める。
「もしかして……」
「……??」
「すみません、水先さん。俺、ちょっと船木さんの家に戻って確かめたいことがあります」
「確かめたいこと?」
「はい。このままじゃきっと、秋男さんは俺と同じように、一生後悔を抱えることになる。だから……」
「あ、ちょっ」
 いうが早いか車を飛び出し、小走りで再び船木さん宅に向かう俺。
 船木さんはぎりぎりまで俺たちを見送っていたようで、今、ようやくノロノロと屋内に戻ろうとしていたところだった。
「秋男さん!」
 玄関の扉が閉まる前に声を張り上げ、秋男さんを引き止める。
「……む? おお、どうした。忘れ物かい?」
 どうやら間に合ったようだ。
 俺の剣幕に不思議そうに首を傾げている秋男さんに、俺は勢いのまま告げる。
「す、すみません、ちょっと気になることがあって……」
「気になること?」
「はい。少しで構いません。もう一度だけ、ご自宅に上がらせてもらっても宜しいでしょうか?」
「?? それは構わんが……」
「失礼します」
 俺は戸惑う秋男さんに構わず、軽く会釈をして屋内に上がる。
 もちろん、俺の後ろからは水先さんがついてきてはいるが、彼女は俺の様相にただならぬ空気を感じているのだろう。特に何も言わずに、ただ黙ってついてきてくれた。
 ずかずかと屋内に上がり込んだ俺が向かった先は、寝室の仏壇だ。
「はあ、はあ……」
 乱れた息を整えながら、俺は一歩、また一歩と室内を歩き、仏壇の前で足を止める。
 中央に飾られた、遺影の中の夏樹さんと目があった。
 控えめだけれど、澄んだ瞳だ。
 今、この空間に、夏樹さんと思しき黒い影の姿はない。
 今、ここにいるのは俺の後を怪訝そうな面持ちでついてくる秋男さんと、水先さんの姿だけ。
 俺はまず、両手を合わせて黙祷を捧げてから、そっと腕を伸ばして、夏樹さんの遺影を持ち上げた。
「……み、三瀬さん?」
「すみません。こちら、中を確認させていただいてもよろしいでしょうか」
「へ? 中?? 別に構わないけども……?」
 半信半疑の秋男さんの快諾を待ってから、その場にしゃがみ込む。
 仏壇前に設置された経机に一旦遺影を置くと、丁寧に扱うよう慎重な手つきでそっと額縁を開ける。
 分離する遺影のパーツ。黒塗りのフレームと、アクリル、遺影の写真、白い背表紙、それから――。
「……!」
 ああ、やはり。俺の予想した通りだった。
 夏樹さんの写真の下から、豆サイズの封筒がころりと転げ落ちてくる。
「むむ……?」
「三瀬さん。それは一体……」
 興味津々に俺の手元を覗き込んでくる秋男さんと水先さん。
 もちろん、何かと聞かれても俺にもなんだかはよくわからない。
 裏表めくってみてもこれといった文字は書かれていないため、謎は膨らむばかり。
「これがなんなのかは俺にもよくわかりません。秋男さん、何か覚えはありませんか?」
「いや、わたしにはさっぱり……」
 封筒を差し出しながら確認してみるが、それを受け取っても秋男さんは首を捻るだけ。
「だとすればきっと、春子さんだと思います」
「春子がこれを?」
「はい。大事なものを額縁に隠す癖があると仰ってたので、それでピンときて……」
 正確には黒い影が、俺に教えてくれたのだ。
 きっと夏樹さんの亡霊は、遺影の自分の顔を指さしていたのではなく、遺影の額縁に隠された、この小さな封筒の存在をなんとかして俺に知らせようと、必死に遺影を指差していた。そう考えれば、あの奇怪な行動の意味がすっきり腑に落ちる気がしていたのだ。
「そうか。春子が……。いやしかし、なんだろう。何も書いていない小さい封筒のようだけれど……」
 秋男さんは首を捻ったまま、封筒を開ける。
 中には四つ折りに畳まれた、何かの『控え』のようなものが入っていた。
 ところどころに数字と、丸と、日付と、何か文字が書いてあるのだが、字はあまりにも汚くて読み取れない。また、その後ろに角印が押されていたものの、それも滲んでしまっていて何が印字されているのかよくわからなかった。
「えっと……船木……春? 春子……様、って書いてあるのかな、これ……。秋男さん。それ、春子さんの字です?」
 かろうじて読み取った文字を音読して尋ねてみたが、秋男さんは残念そうに首を横に振る。
「いや違う。春子の字ではないな……。いったいなんの控えだろう? 春子に聞いたところで覚えてはいないだろうし……」
「ですよね……。でもきっとその控えが、秋男さんや春子さん、夏樹さんの『未練や後悔を解く鍵』になるはずなんですが……」
「……」
 俺も半信半疑ではあったけれど、そう考えないと夏樹さんの奇怪な行動の理由に辻褄が合わなくなる。
 秋男さんと俺が首を傾げて逡巡していると、ふいに水先さんが「失礼します」と言って、ずいと間に割り込んできた。
「すみません。そちら、少し拝借してもよろしいでしょうか」
「ああ、構わんよ」
 水先さんは秋男さんから謎の控え用紙を受け取り、まじまじと見つめる。
「これは……」
 妙に意味深な表情をしている水先さん。
「水先さん、何か思い当たりがあるんです?」
 俺が首を傾げて尋ねると、水先さんは何かを確信したような面持ちで「ええ」と、静かに頷き、スッと立ち上がる。
「秋男様、こちらの用紙、本日はわたくしどもでお預かりさせていただき、後日、調査結果とともにお返しする形でも構いませんでしょうか?」
「……? おお、構わんぞ。そもそもわたしが持っていたところでなんの控えやら全く記憶にないのでな」
「ありがとうございます。もしかしたら本日中に謎が解けるかもしれません」
「へっ⁉︎」
「参りましょう、三瀬さん」
 豆封筒をしっかりと手持ちのビジネスバッグに仕舞ったかと思えば、有無を言わさず玄関に向かってスタスタと歩き始める水先さん。
 俺は慌てて手元の遺影を元に戻し、秋男さんに短い挨拶をしてから、水先さんの後を追いかける。
「え、ちょ、まっ。謎が解けたってどういうことです? っていうか、行くってどこへですか⁉︎」
 追いついた時、すでに水先さんは靴を履いて外に出ようとしているところだった。
 こちらを振り返った彼女は、俺の投げかけにただ一言、不敵な笑みを浮かべてつぶやいた。
「来ればわかります。……船木様たちの『未練と後悔』、しかと終わらせましょう」
 ――と。


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