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「をはらせ屋」 〜終活サポート水先案内事務所の優しい怪奇譚〜 1章 第5話(全13話)

第一章【case1.船木家の終活】 第5話


 ◆

 滔々と語られた爺さんの話によると――。
 船木夫妻はかつて、地元の街角で小さな蕎麦屋を経営していた。
 二人には『夏樹なつき』という名前の息子が一人おり、決して裕福な家庭ではなかったが、子が幼い頃は家族三人、身を寄せ合って慎ましやかに暮らしていたという。
 息子の夏樹が小学校の高学年に上がる頃になると、夏樹が徐ろに『弁護士になりたい』と言い出した。
 どうやら、弁護士の父を持つ友人の影響らしい。
 思えば確かに、彼はクラスの中でも常に一位、二位を争うような賢い子で、家にいても、気がついたら店の手伝いを放り出して部屋の隅で難しい本を読み漁っているような、熱心な勉強家だった。
 もちろん夢を応援してやりたい気持ちはあったが、その当時は、蕎麦屋の経営が悪化しはじめていた頃のこと。塾に通わせようにも、あるいはより高度な教育を求めて私立中学の受験をさせようにも家計が回らずあえなく断念。
 自分や春子に息子の勉強を見てやれるだけの充分な学力があればよかったのだが、そもそも秋男は勉強が得意な方ではなく、高校卒業後すぐに蕎麦職人への道に進んでいるため大学も出ていない。そんな状態では、高度な参考書を読み漁る夏樹の役に立てる自信などあるはずもなく、ひたすら陰ながらの応援に回るしかなかった。
 だが、それでも夏樹は愚痴一つこぼさず独学でコツコツと学び続け、見事、第一志望の大学の法学部に合格する。
 心から安堵し、喜んだ船木夫妻だったが――。
 ちょうどその頃、それまでなんとか持ち堪えてきた赤字続きの蕎麦屋が、ついに廃業の危機へ追い込まれる。
 大学の入学金、学費、夏樹の上京資金に生活費……。
 長らく資金繰りや蕎麦屋の存続に頭を悩ませていた秋男は、様々なことを考慮した結果、夏樹には内緒で店を畳むことを決意。今まで苦労させてしまった分、せめて大学の学費や生活費だけは自分がなんとかしてやりたい一心で、秋男は慣れない営業職の仕事に就き、歯を食いしばって日夜資金稼ぎに奔走する。
 何も知らない夏樹が無事に大学へ進学し、地元を離れて学生寮に入り、それからしばらく――。
 約一年ほどが経ち、夏樹が大学二年に上がる頃のことだろうか。ある日、突然地元に舞い戻ってきた夏樹が、『大学を辞める』と言い出した。
 最低限の連絡を取り合っていた春子はなんとなく夏樹の心境の変化を察知していたようだが、全く連絡を取り合っていなかった秋男は寝耳に水。
 理由を問いただす秋男に対し、元々口数の少ない夏樹は、
『違う道に進みたくなった』
 と、そう無愛想に言い放つだけ。
 当然、秋男はそんな理由で納得がいくはずもなく、
『名門大学に入り、周囲のレベルが上がって勉強についていくのが厳しくなったからといって、いっときの感情で困難から逃げようとしているだけ』
『長年追いかけ続けてきたお前の夢は、そんな甘ったれたものだったのか』
 と、半ば激昂気味に叱咤し、一方の夏樹も『何も知らないくせに』と真っ向から対立。
 二人は口論を激化させ、結局、話し合いが纏まらないまま夏樹は一旦学生寮に戻り、その後も冷戦状態を続ける。
 当時のことを思い返し、爺さんは言った。
「あの時はな、夏樹がそれまでずっと努力して黙々と追いかけ続けてきた夢を、いともあっさり『辞める』と言い出した浅はかさが許せなくて、わたしも、頭ごなしに彼を否定してしまったんだよ。今思えば、よほどのことがあったのかもしれんし、もっと親身になって理由を聞いてやるべきだったんだが……後悔先に立たずというやつだな」
 ――と。
 もちろん、妻の春子が幾度となく二人の仲裁に入ろうとしたが、頑固な秋男は頑なに耳を傾けようとはせず、男同士の意地の張り合いはその後、数ヶ月ほど続いていたのだが……。
 夏を迎えたある日のこと。腹を括ったのか、今一度秋男と話し合おうと、再び地元に戻ってきた夏樹。だがその当日、夏樹は実家付近の交差点で交通事故に巻き込まれ、和解はおろか別れの挨拶もできぬまま急逝するという、最悪な事態を迎えてしまったという――。


 ◆


「そんなお辛い過去が……」
「……ああ、もう随分昔のことだけどな」
 そこまで話し終えると、俺が入れ替えた新しい茶を軽くひと口啜る船木の爺さん。
 死んだ息子の話をしたせいか、爺さんの表情はひどく翳って見える。
 爺さんは後悔に苛まれてきた、それまでの苦しみを吐き出すように続ける。
「わたしさえ最初からきちんと話を聞いてやっていれば、きっと夏樹は、あんな不幸な事故には遭わずにすんだんだ」
「……」
「わたしのせいで夏樹は……いや、夏樹だけじゃない、春子の認知症だって……」
「お気持ちはお察しいたします。ですが必要以上にご自身を責めるべきではないかと存じます。それに、春子様の認知症が秋男様のせいだと結びつけてしまうのも……」
「いや、春子のことも、間違いなくわたしのせいなんだ。あの時、わたしが……」
 爺さんが頑なに自分を責めようとした時、それを遮るよう、ポーン、ポーンと掛け時計が鳴った。
 十九時だ。いつの間にこんなに時間が経っていたのだろう。
「……すまん。つい、勢いづいてしまった。こんなことを聞かされても、あなたたちだって困るだろうのになぁ。わたしときたら……」
 ふと我に返り、自分を戒めるように目を伏せて苦笑する爺さん。
 室内は重く沈んだように静まり返っている。
 ちらりと視線を投げると、婆さんが眠そうな顔でうつらうつらと船を漕いでいた。
 水先さんは緩やかに首を振ると、沈黙を破るよう口を開く。
「貴重なお話を聞かせてくださってありがとうございます。先ほども申し上げましたが、気になさる必要はございません。『終活』とは、自分の〝死〟を見つめることだけが全てではなく、自分の半生を――〝生〟を見つめ直してこそのものだと、弊社では考えております」
「〝生〟を……見つめ直す……?」
「ええ。お客様が抱えていらっしゃる未練や蟠りの解消……それをお手伝いすることも弊社の役目ですから。どうかお気になさらず、抱えているものを全て吐き出していただければと」
「そうか……。ありがとう。そう言ってもらえるだけでも気が楽になるよ」
「いえ。できればこのままもう少し、お話の続きを伺いたいところなのですが……奥様が少々お疲れのようにお見受けいたします。本日は一旦ここまでにして、続きは後日ということでいかがでしょうか?」
 水先さんからの提案に、船木の爺さんはハッとしたように、すぐさま賛同を示す。
「おお、そうだった。すまないな、春子。すっかり話し込んでしまったが、わたしら老人にはもういい時間だったな。お言葉に甘えて続きはまた後日。改めて出直すことにしよう」
「畏まりました。そうしましたら次回のお約束についてと、それまでにやるべきことなどを一旦こちらで取りまとめますね」
 そうと決まればと、水先さんは作業途中だった資料の処理を手早く済ませ、今後のスケジュールやそれまでに集めなければならない資料・情報等を、船木さんがわかりやすいように大きめな文字で案内用紙にスラスラまとめていく。
 相談の結果、再スケジュールとなった次回の予定は二日後の日曜日、事務所にて資料整理や必要書類の作成サポートを進めた後、船木宅に移動して〝生前整理サポート〟をすることが決まった。
「当社での〝生前整理・遺品整理サポート〟は、お客様が行う持ち物整理の仕分け補助をしたり、あるいは処分に関するサポートをしたりと、終活には欠かせない大事なタスクの一つとなっていますが、作業の性質上、場合によっては家財の移動等、肉体的な労働を伴う可能性もありえます。同行していただけるというのであればこちらは非常に助かりますし、無論、相応の給与はお支払いしますが強制はしません。三瀬さんはどうなさいますか」
 今日限りのつもりで急遽業務を体験させてもらった、俺に投げられた問いかけ。
 あくまで俺の気持ちを尊重してくれるつもりなのだろう。
「自分は……」
 ――正直、俺は『終活サポート』という業界のことなど、始めは微塵も興味がなかった。
 だが、奇異な縁で水先さんと出会って。
 さらに、奇異すぎる縁で船木の爺さんや婆さんとも出会って。
 爺さんの人柄に絆されたり、身の上話を聞いて妙に感情が揺さぶられたりもして。
 ここまできたならば、やはり最後まで船木さんの終活を見届けたい。
「もちろん、自分も同行させてください」
 興味を持ったことも事実だが、俺の就活に、ここまで親身に向き合ってくれている水先さんの気持ちにも報いたい一心で、俺は二つ返事でそう告げ、日曜日のスケジュールを確保する。
 船木さん、水先さん、俺。
 三人が納得の上で本日のサポート業務を終え、この日は解散となる。
 船木さんに取り憑く黒い影の正体は未だわからないまま……この日の俺は大人しく事務所を後にした。

 


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