『訂正する力』という本に出会った
さて今日は何について書こうか。
正直テーマを与えられずに書こうとすると、どうしても日記のように、今日起こった出来事を書きたくなりがちではあるよね。
実際どこかのタイミングで普段考えていること(?)をこういった形で言語化というか、文書化したいとは思うんだけど、多分いまやるとしたら確実に
ブルアカの浦和ハナコについてになる気がする。近々やろう。
今日やったことと言えば、久々に母に外に連れ出されて、本屋に行ってきた。
クラウドファンディングで出来たらしい少し変わった本屋だったんだけれど、そこで珍しく本を買ったんだよね。
『訂正する力』っていう東浩紀さんの本。何となくタイトルに惹かれて手に取ってみたら、政治やらの日本の未来やらの、如何にも私が嫌いそうな話題だったのに、妙に引き込まれちゃって、しばらく無言で立ち読みしちゃったんだよね。
本の内容の中心は……って説明しようと思ったんだけど難しいな。
私の理解としては、議論の中とかで、過去の発言を覆す事だったり、過去の発言と食い違う事を言う=悪い事、負け、みたいな風潮ってあるじゃない?でもその認識は危険なんじゃない?って言ってるのがこの本。
議論というのがなんのためにあるのかと言うと、対立しているお互いの意見を聞いて「あぁ、そっちの言う事にも一理あるな」「じゃあここは間違っていたかもしれない」という風に、お互いに影響を与え合って、少しずつ意見を変えていく事が目標なんじゃないかって言ってた。
自分これに同意したから感銘を受けたのか、新しい発見として感銘を受けたのかちょっと微妙に言い切れない所は、あるんだけども、何にせよこういう議論の捉え方に感銘を受けたのはたしか。
まぁ、これは『訂正する力』が不足している事柄の一例として取り上げられていたものなので、他にも扱っているトピックは色々あるんだけど……要は過去あった出来事を改めて解釈し直したり、過去に決めた事を少し変えてみたり、そうやっていろんなことを『訂正』していく事で前に進めるんじゃない?っていうのを色んな具体例を持って示している本なんだと思う。
これが結構面白くて、割と普段から考えていた事とか、疑問に思っていたようなことが綺麗に言語化されているなぁと思うような箇所が多々あって、こんな重苦しいテーマの本普段全然読まないのに、割と読む手がスイスイ進んでいるというお話。
あれ、書こうとしたこと忘れちゃった、なんだっけ……
思い出したら後で書こう……
あとね、この『訂正する力』っていう本、出版された日時に明日の日付が書いてあったんだよね。どういうことなのかいまいちわかってないけど、出版日って何を基準に書かれてるんだろう…?
何にせよなんか未来に存在しているはずの本を読んでるみたいで少しワクワクしちゃったよね。
あぁ結局さっき書こうと思ってたこと思い出せないや、まあ良いか。
そこそこ書いたしこの辺で。
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