【読書の記録(感想)】封印再度/森博嗣
※前作の詩的私的ジャックについては読了だが、感想を綴るには、あまりに言葉が足りず未だ記録にできない。次作となる封印再度についても読み終え、先にこちらの感想を書こうと思う。
冒頭は、お決まりの事件の導入。不思議な壺と箱について。壺には鍵が入っているが底から先端にかけてが、萎み鍵が取り出せない構造。かたや対となる箱は、その鍵を使わなければ、開けることができない。加えて、箱を開けたのちには、鍵を再度、壺に戻すことができるという、なんともパズル好きには、たまらない代物である。
本作は、やはり人が一人亡くなるし、不思議な箱や密室の謎など、いくつもミステリー要素を抱えているにも関わらず、犀川先生と西之園さんの恋愛関係についても、大きく進展があるという点に意識が向いてしまう。正直、中盤のクリスマスイブの一夜といい、犀川研の新歓コンパ後といい、ミステリーが置いてけぼりになってしまったのは、私だけではないと思ってしまう。更に、エイプリルフールの追い打ちもある訳で、ジェットコースターにでも乗ったかのような目紛しい展開であった。
いずれも、西之園さんの活発な行いにより生じているわけだが、犀川先生、そして国枝先生についての、複雑ではないシンプルな一面を新しく見せてくれた点で、西之園さんの活躍には感謝すべきだと思ってしまう。“犀川が、こんなに単純な思考をするということが、萌絵には意外だったのだ”と西之園さんの内心が語られているが、読者である私も、同じように思ってしまっていた。(p420)同時に、犀川先生と西之園さんの人格は、フルーツパフェになぞらえて、根底グラスの底に溜まるシロップのようであるというように語られている。
けれども、それらの人間模様が描写されながらも、ミステリーはちゃんと、戻ってくる。密室と壷・箱の謎は、しっかりとしたトリックを持って、現実的な方法で、解明される。犀川先生から事件の真相を明かされると、そんなに単純なのかとさえ思えてしまうほどだ。
けれども、その単純なものを複雑にしてしまったものが何であったかを、思い返すことに、本作の面白さを感じる。おかげさまで、以下のようなミスリードにより、私の脳内はどんどんと複雑さを増していった。
・子供と大人でのモノの見え方や表現の仕方の違いが生じたり(犀川先生の子供時代の煙突の回想、おしゃべり九官鳥)、知識の有無で言葉の捉え方に違いが生じたり(儀堂と瀬戸のPCを立ち上げたときのやりとり)することは自然に思え、気付けない部分である。
子供(シンプルかつ自由なモノの見方・考え方)から、大人(様々な情報に触れ、経験を得てきたが故の、複雑かつ不自由になってしまったモノの見方・考え方)への変化なのだろうと思わされた。
・ケリーが誰もいないはずの小屋で、吠えていた点(「いない」と言ったのは、祐介)
(p125)
・偶然生じたマリモの事故。“突然の、低いクラクション。〜彼女の目の前にヘッドライトが大きく迫っていた“という描写により、あたかも、その際に、マリモは車を滑らせて事故となり、病院に運ばれたと思い込んでしまった。(p124)
・林水の死体の発見場所
他にも、語りたいことがあるのだが、長くなったため、感想②に続けようと思う。
・風采と林水の死、林水の自殺の経緯
・第3章9節(p151)
・目次、章タイトル
・国枝先生のメール文「ごちそうさま」
・クリスマスの二人