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手抜きして、何が悪い

 今更感があるが、Twitterでの「冷凍餃子は手抜き」騒ぎ(※)について、冷凍餃子を頬張りながら話題にした時のこと。間髪入れずに中2ムスメ氏が放った一言は、

 「手抜きして、何が悪い。」

 であった。まじそれな!もうね、冷凍餃子は手抜きか否かなんていうのは、どーーーでもいい。焼くのだって手間なんだから文句あるなら生のまんま食っとけ!というご意見も、感情的には100%共感なんだけれども、何が手抜きで何が手抜きではないのかという線引きを始めてしまうと待っているのは地獄しかない。(だから餃子の次は唐揚げが話題になった。当然といえば当然の流れである・・・)であるからして、正解はただ一つ!

 「手抜きして、何が悪い。」

 うん、みんなで連呼してもいいんちゃうかな。手抜きして、何が悪い?

 さすが万年朗らかーなムスメ氏、生きづらさから一番遠い思考をナチュラルに手にしてマス。いやぁリスペクトしかないよね・・・

 いや別にですね、「手抜き」のおそらく対極にある「ていねい」を否定するわけでは決してない。ていねいであること、ていねいにできるということは、それ自体素晴らしいことであると思う。「そうだったらいいなぁ。」という仄かな憧れは私の中にもあるし、ていねいにしようと心がけて、そうできている時は気持ちがいいものだという経験だってしている。ていねいというのは、「そうであればよいもの」であることに違いはない。でもそれはあくまでも「本人が」「望んで」「選ぶ」ものであり、他者から押しつけられたりジャッジされるものではない。「(ていねいに)やりたくねーな。」「(ていねいに)できねーな。」と思ったらいつでも手離すことができて、自分ができる範囲かつ、自分が望む程度でやればいい。餃子をイチから作りたい時はそうするし、そんなの面倒くせーやとかそんな時間がないやと思う時は冷凍餃子でも、すでに焼いてある餃子でもいい。大体自分の気分も含め、いろんな状況を加味して「今のベストな選択はこれ」って当座のミッションの実務者が判断しているんだから、それ以外は「ない」ってことなんだと思う。

 まぁたぶん「冷凍餃子は手抜き」と垂れ流してしまう人は、「面倒くさい」とか「今日はそこまでしたくない」という実務者の気分を「やる気がない→ちゃんとやれ」ってジャッジしているんだろうけれども。でも実務者の気分だって立派な「状況」(≒判断材料)なんだよなぁ。そこを過小評価してしまうと、ほかの実務に支障が出たり、体調を崩したり、下手したらバーンアウトすることだってあると思う。だから「今日はそこまでしたくない」と手を抜くことは、全体的かつ長期的に見たら一つの戦略でさえある。

 先週胃カメラげえげえ体験談をアップしたが、どこにも医学的問題はないとはいえずいぶん長い間胃の調子が優れない。痛みがあるわけではないのだけれども、胃もたれが続き、肉類はごく少量しか食べられない。食べたいと思うものもどんどん少なくなっていき、以前ほど料理に関心が持てなくなってしまった。レシピ本を眺めてあれも作ってみよう、これも作ってみようと、割と料理自体好きだったのだけれども、それは「食べたい」という食欲に支えられての関心だったんだなぁと今になって思う。ただだからといって嫌々やってるかといったらそういうわけでもないのだけれども、必要最低限の省エネモードになったのは事実である。そのことに対して私自身がつまらないと感じたので、観念して渋々胃カメラの検査を受け地獄を垣間見た・・のにどうすることもできないことが分かって、正直残念な気持ちを隠せない。悪いところがなくて本当によかったんだけど、原因があって治療ができたら、また健やかに料理を楽しめるんじゃないかっていう淡い期待があったからね。

 それにしても話は戻るけれども、齢13にして「手抜きして、何が悪い」って爽やかに言いきっちゃうムスメさま、本当にメンタルヘルスに最高な生き方をしているなって思う。あんまり言葉で色々説明はしてくれないけれども、学校以外の場所で学ぶことを選んだ理由になりそうなことを最近ちらほらみせてくれて、色々と納得することがある。例えば部屋の整理中に出てきた過去のプリントを「ほら」と見せてくれて、「カラーペンを使って書いたら+になって、とか、こういうふうに直したらA+になるとか決まってた。私は面倒くさいからしなかったけど、みんな頑張ってやってた。」などと言う。このことは大人の論理で説明すると、「学習とは本質的に関係のない行為を強要され、かつそれが評価基準にされている。」という理不尽(怒)になるのだけれども、彼女はそうは言わずに「面倒くさいからしない。」からの、「もう行ーかない。」になるんだから「すげーな!」である。ポイント稼ぎでしかない行為だけれども確実にポイント稼ぎではある行為を、「面倒くさい」って言って手離せちゃうのは「勇気あるなぁ」と正直思っちゃうけれども、もしかしたら彼女はそのことに人一倍身を削られるのかもしれないとも思う。ポイント稼ぎを「手離すほうが、はるかにマシ」なタイプの人なのだとしたら、その場を立ち去るよりほかなかったのかもしれない。何しろやりたいことがいっぱいありすぎて、ポイント稼ぎどころじゃないというのも事実だったりする。(ところで念のために付記しておくが、ポイント稼ぎのように提出物の体裁を整える子どもたちを責めたり揶揄する意図は全くない。子どもたちにとっては自分の将来を左右する、大事なことだからである。そのため子どもたちにそのようにさせている教育や指導自体を問題視している。)

 とにかく冷凍餃子にしてもイミフな課題にしても、「自分がどこに自分のリソースをさくのか自分で決める」、これで文句ある?権力の勾配があるとそう言わせてもらえないというのが最大の問題であり、生きづらさである。そこからなるべく距離をとって、テクノロジーや多様な選択肢の恩恵を受けよう。これからの時代をのびやかに生きていく秘訣は、たぶんここにある。

※「冷凍餃子は手抜き」騒ぎ
食卓に冷凍餃子を焼いて出したら夫が子どもに「これは手抜き」と言った、というTwitterの投稿が話題を呼んだ。もちろん食事作りを担う方たちから、大いに顰蹙をかっていた。

ちなみに写真のイラストは、ムスメ氏が描いてくれたらむねちゃんデス。

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Nishio Misato
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