定期テストから考える、欲しい未来
「勉強しに行ってきまーす!」
ホームスクーラー中2ムスメ氏が最近お出かけする先は、カフェ。家で勉強しても捗らない時があるそうで、午前中から颯爽と出かけて行ってしまう時もある。お、おう!行ってらっしゃいと見送るのだけれども、ふと「午前中から中学生が1人で飲食店にいたら、変な人に目をつけられて怖い目にあったりしないだろうか。」と不安になり、くどくどと「不審な人がいた場合」のレクチャーをするハハ・・・せっかく「自分が勉強しやすい環境」を求めて試行錯誤しているのに、妙に怖がらせて水をさしてしまったのは申し訳ない。でも「どこで何してようがいいでしょ。」という自由と、そこにつけこまれる可能性への自衛はやっぱりセットになっている現状を認識しておく必要はあるとハハは思う。自衛のいらない社会になって欲しいと願いつつも。
さてオリジナル学習スタイル街道を突き進んでいるムスメさま、先週定期テストを終えたところである。これまでひたすら暗記を要求されるような科目のテストに目もくれなかった(というか点数をとることに興味を示さなかった)のだけれども、今回私のほうから「ちょっと点数とりにいってみいひん?」と声をかけてみた。保健体育などの副教科の知識を「短期的に記憶して、アウトプットする」行為に私自身も意義を感じられないのだけれども、「暗記する方法で、自分に合う方法を探してみない?」「どれくらいやったらどれくらいの点とれるか、試してみようよ。」というひとつの「実験」として提案してみた。まぁなので、覚える(暗記する)中身は正直なんでもよくて、自分が今後暗記する必要に迫られた時に最適な方法を選択できるようになるための模索をすすめたのである。ムスメさまも、「いいね♪やってみるー。」ということだったので、こうしてみる?ああしてみる?と色々検討しながら暗記科目にチャレンジしてみた。結果、そこそこ手応えがあったのもよかったんだけれども、一番重要なのは「点数」ではなくて、「この方法で、これくらいやったらこの程度の点がとれるのね。」という情報であり、自分の方法なり方略が妥当だったのか検証して、次にどうすべきか考えるというサイクルを回すことである。
中学生の学習に親がそこまで干渉する?という声もあるかもしれないけれども、小学校から中学校で学習スタイルが急激に変わり、その移行がスムーズにできる子どもたちもいれば、そうじゃない子どもたちもいると思う。「自分で勉強しなさい」と放り出されて、もちろんそれができる子どももいるけれども、戸惑う子どもたちもいる。なにしろ学校で教えてくれることは「中身」ばかりで、それを身に着ける「方法」の習得に手助けがじゅうぶんあるとは言えない。多様な方法の選択肢の中から、自分の認知スタイルに合った方法を選んでやってみる、結果につながらなければ別の方法を試みる、そのサポートは本来学校が担って頂きたいところである。しかしそれは現状望めないし、ムスメさまはホームスクーリングをしているということもあり、学習の「方法」を学ぶ伴走者の役割は私やオットが担っている。いずれ彼女は自分自身でそれができるようになると信じているので、今手厚くしていることが「干渉」だとは全く思っていない。
ところで定期テストを受けると、ムスメさまはよく「時間が足りなかった~」と言って帰ってくる。そうか、それは残念だったねぇとなぐさめながらふと、「テストに時間制限って要る?」と思った。だって、「速く」問題を解く必要ある?別にじっくりゆっくり考えたっていいでしょ?ていうか、その方がよくない?自分がその単元をしっかり理解しているか確認するためのテストだったら、速く解くよりも一問ずつ丁寧に解くほうが目的に適っている。「時間切れで解けなかった(取り組めなかった)問題」は、もしかしたらじっくり考えたら解けるかもしれないし、もし解けるなら「理解している」という評価になるもの。
でもきっと、今のテストの目的は「理解できているかの確認」と「理解できていないところを把握してそこをサポートする」なんてことではなく、個人の能力を「評価」して、集団の中で「差をつける」ことなんだろうな、と思う。競争原理の中でこそ、「速さ」は意味を持つ。「速さ」という評価の軸を入れることで、「差」がつきやすくなるから。
だけどさ。公教育のミッションって、本来「評価」じゃないでしょ、と思うのは私だけだろうか。お花畑とか揶揄されそうだけれどもそうじゃなくて、義務教育なんだから「子どもたちが学ぶべきこと」として想定されていることを身に着けてもらうまでサポートする責任を持っているはずでしょう?競争させて、成績つけて(評価して)おわり、じゃなくて、誰がどこでつまづいているのか把握して、サポートするのがお仕事じゃないのか?という厳しいことを言っているのである。
だからムスメさまには時間内に解けたか、解けないかが問題なのではなくて、必ずしているテストの解き直しの時に時間をかけて解けるのであればそれでよし、とずっと言っている。ただもちろん「受験」という競争の場ではスピードで差がつくことがあるから、理解の次はスピードアップのトレーニングが必要になることを伝えている。でも少なくとも定期テストは、そんな競争の場ではない。・・・そしてもはやムスメ氏、「定期テストって要る?単元テストにすればよくない?」と申しております。それな!
OECDの「Learning Framework 2030」では、こうした従来的な学業成績の評価から未来の教育がどのように変わっていくのかが示されているのだけれども(※1)、「学習者は自分の学びに積極的に参加します」「学校では学業成績に加え、学習プロセスと学習者の幸福も大切です」「学習者は様々な背景を持ち、様々な方法で学ぶという認識にあるので、学習は非直接的なプロセスでおこなわれ、様々な目的に応じていろいろな方法で評価されます」というビジョンが明確に打ち出されていて感動するよ・・・ほんまに2030までに変わるんだろーか。諸々絶望してきた身には、にわかに信じられんのですけど。そんな未来に向かっている予兆はどこにも・・・って、隣にいるking of ほがらかムスメさまの中にチラリと見出すことは、できるかも?
※1
OECDのposition paperはこちら
日本語訳はこちら
今回引用させて頂いたのは、OECDの動画に日本語字幕をつけて下さっている豊福晋平先生の下記のYoutube動画からです。動画から一部字幕を引用させて頂きました。
<追記>すみませんが引用したリンクが間違っておりました。下記になっています。(どちらも素晴らしい動画なので、消さずに残しておきます。)