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みんなで子育てする社会へ~小学校休業等対応助成金を使える制度に~
「小学校休業等対応助成金」という制度があるのはご存知だろうか。
新型コロナウイルス感染流行に伴い、今年3月から5月にかけて全国の小中学校が一斉休校となった。この時期多くの保護者が仕事を休まざるを得ない状況になったことを受けて、国は仕事を休んだ保護者の給与を助成する制度「小学校休業等対応助成金」を設けた。これは、子どものために仕事を休んだ従業員に有給の休暇(年次有給休暇を除く)を取得させた企業に対して助成を行う、という形の制度である。国の方針によって休業を余技なくされた保護者に対して、国が経済的保障をするのは当然だと思う。
しかしながらこの制度、ほとんど周知がなされていない。私も友人からこの制度について聞くまで、その存在すら知らなかった。身近なお母さん友だちたちでこの制度を知っている人は、一体どれだけいるのだろうかと疑問に思う。しかもこれは「有給を取得させた企業」に対しての助成であるため、企業(雇用主)がこの制度を利用しない限り、労働者は助成金を受け取ることができない仕組みになっている。企業(雇用主)からしたら申請のメリットはなく、逆に事務手続きで業務を増やすことになるし、労働者の間で不平等感(子どものいる労働者のみ有給が増える)を生むことにつながるのではと忌避されることになった。その結果「制度はあっても、労働者が助成金を受け取れない」という非常に残念な事態を招いている。この点(個人への助成ではなくて企業への助成である点)について問題視し、個人申請ができるよう訴え続けている「小学校休業等対応助成金の個人申請を求める親の会」さんによると、政府が予想した対象者の数から算出された予算の「たった2割」しか現状この制度は利用されていないそうである。しかも最もこの制度が必要とされた一斉休校期間中の休業に対する助成の申請期限は今年の12月28日までとなっており、有効に使われないまま、必要としている人に届かないまま、「とりあえずやりましたからね。」という形だけ残して終わってしまいそうな状況である。
何度がっかりすればいいんだろうか。この国の無慈悲な振る舞いに。
「こういう制度があるので、使ってください」と労働者側が雇用主に主張することだってエネルギーが相当要る。当然の権利なんだから主張することは間違っていないけれども、そもそもパワーバランスの不均衡があるのだから、わざわざ権利を主張しなければならないという状況そのものがストレスフルである。それに子どものいない同僚たちへも、どうしたって気兼ねしてしまうだろう。もともとマンパワーぎりぎりでまわしているところがほとんどなのだから、休んだしわ寄せは同僚たちにいってしまうことも分かっているし、さらに給与面で優遇される形に「なってしまう」のは主張しにくくて当然だと思う。企業(雇用主)を通しての申請という制度設計が、その組織の中での分断を生みやすくしてしまっているというのはどう考えてもおかしい。一斉休校という国の方針で休業を余儀なくされたことに対して個人が「国から」保障されれば、少なくとも各組織の判断を通さずにすむという点において「組織が」従業員の間に明白な差をつけずにすむ。でももっと要求するとすれば、やはり子どものケアで休業せざるをえない従業員を抱える組織そのものも助成されてしかるべきで、そうした経済的援助はマンパワーの補充に使われたり、しわ寄せのいっている従業員に分配されたらどれだけいいだろうかと思う。
こんなことは素人の私も思い至ることだし、多くの人びとが「そりゃそうだ」と思うことだろう。優秀な人ばっかり集まって制度を作っているはずなのに、なんでこんな「使えない」ポンコツが出来上がってくるわけ?と不思議に思うのである。そうして思うのだ。「わざと使えないように作ってるんじゃなかろうか。」と。「やる気ないんだな。」とも。
事実は、分からない。そしてそこに明白な悪意があるというふうには、私も思っていない。でもたとえば「予算が足りないから、たくさんの人に申請されちゃうと困るなぁ。」という思いがあったとしたら、その場合に「どうしたら申請(数)をおさえられるか」という思考になってしまうのはじゅうぶん考えられる。お役人の方々だって制約のある中でお仕事されているのだから、仕方がない。
・・・とは!やっぱり!!思えないから怒ってます!!!
そうじゃないじゃん。
やっぱりさ、「必要としている人に届けたい」という思いがまずあって欲しいじゃない。「ステイホームを余儀なくされている子どもたちが、少しでも安心して過ごせために。子どもを育てる人たちに、安心して休んでもらおう。」と思って制度設計して欲しいじゃない・・・もうさ、とってこられた少ない予算を必要な人で分配しちゃったら雀の涙にしかならなくなっちゃってもさ、「予算が少なくてごめんなさい。」って正直に言えばいいよ・・・そこから「もっと予算をくれ!!」って、みんなで上に訴えていけばいいんだから。それなのに、「この予算で申請者数はこれくらい、その範囲におさめるためには・・・」っていう発想が透けて見えるとさ、端的に言って「バカにされてる」としか思えないし、なにより大切にされてないということに心底傷つくんだということを、どう訴えていけばいいんだろうかと思う。
どっちを向いて仕事をしているの?
という話なのだ、これは。
金くれ!っていう「だけ」の話なんかじゃない。
信頼関係の話でもあるんだよ。
いや、金くれ!ではあるよ。
つまりね、そこにお金がきちんと支払われるということは、国が、社会が、「子どもを育てるということ」「子どもの生活を大事にすること」に敬意を払っているということとイコールなんだよ。だから、そこにお金が支払われないと、子どもを育てるという営みを国や社会が軽視しているというメッセージに変換されてしまうんだよ・・・
少し話がそれるけれども、先日ムスメ氏と英語の勉強をしているときに「minister」という単語が出てきた。その時ムスメ氏が「miniってついてるのに、大臣だって~。ミニなのに大きい♪」と面白がった。あははーキミ愉快やわ!とか笑ってたんだけど、たまたま手元にあった「語源図鑑」(※1)をパラパラめくっていると、ministerが出てきた。そこには、「mini(小さい)+ster(人)→(国民に)仕える小さな人」と書いてあった。
おいこら総理大臣!お前は国民に仕える小さな人じゃ!なにが「大」臣じゃ!
とガラ悪く思いましたよねー。ねー。思っただけじゃなく、興奮して「これからは(日本のプライムミニスターを)小さい人って呼ぼうか。」とムスメ氏に言ったりしてひかれてましたねー。ねー。
何が言いたいかというと、制度設計する人は国民のほうを向いてお仕事をして欲しいって、そういうことです。与えられた中で形を整えることではなく、たとえば「社会全体で子どもを育てていこう!子どもを大事にしていこう!」という思いを制度にしていく、そういうお仕事を望みたいのだ。
「小学校休業等対応助成金」の個人申請を求める署名が、現在行われている。この記事を読んでご関心を持って下さった方は、下記のサイトから主旨を確認して、同意頂けるようなら署名をお願いしたい。
働くママパパ達を助けてください!必要とする人に届かない「小学校休業等対応助成金」の申請期限延長と個人申請を求めます
※1
「英単語の語源図鑑」
清水建二、すずきひろし著
2018, かんき出版
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