根菜も食べない?ジャイナ教の料理を、東京のインド人に教わる
友人の家に、インド人の方がホームステイを始めた。聞けばジャイナ教の方だという。ジャイナ教というのは、インドでも人口の0.4%ほどしかいない希少な宗教で、食事に関して厳しい制限があると聞いたことがある。教義では不殺生が貫かれており、肉食はおろか虫を殺すことさえも避けようとするというのだから、なかなか厳しい (参考)。
それほどまでに殺生を排除した料理って一体どんなものだろう、日本でどうやって暮らしているんだろうと興味が湧き、ある日の夕飯作りにご一緒させてもらった。
インド人料理屋にも行けないから料理始めた
彼の名はヴィル(Vir)くん、細身で温厚な24歳の青年だ。ITエンジニアとして働いている。日本に来てから2年ほどはインド人仲間たちとシェアハウスをしていたけれど、それぞれの仕事や生活環境が変わり昨年解散。「インドにいた時のように、常にまわりに誰かいる環境がいい」と一人暮らしではなくホームステイを選んだ。
会社は港区にあるが今は在宅勤務。以前は会社近くのインド人が料理する店によく通っていたが、在宅勤務でそれも行かなくなり、食べ慣れた味を求めて料理を始めたという。
キッチンの棚から取り出した圧力鍋は、実家のお母さんが送ってくれたもの。インドの圧力鍋といえば、「シュー!!」と寿命が縮むかと思うほどけたたましい音をあげるのが特徴。なにもわざわざ大きな箱で送ってもらわなくても日本で静かなのが買えるよ...と思ったけれど、きっとそういうものではないのだろう。実家の母とは、なんでも送りたがるもの。
ヴィルくんはスマホのメモを見ながら準備する。「インドにいるときはお母さんや家の女性たちが料理していたから、自分で料理する機会なんてなくて... こっちに来てから、作りたいものがあると母に聞いて、それからネットで調べたりして作ってるんだ」と照れたように言う。
パンに合うカレー「パン・バジ」
今日のメインは、パン・バジ (pav bhaji)。「pavはパンのこと。パンに合うカレーなんだよ」と教えてくれた。
"Pav bhaji" で検索して出てくる写真には、丸いコッペパンのようなパンが写っている。台所の小机にはコストコのふわふわのテーブルロールが用意されている。
私の頭に「?」が浮かぶ。
インドのパンと言ったら、チャパティやナンなどクレープ状の平焼きパンのはず。ふわふわのパンは昔からある主食ではなさそうだし、それに合うカレーがあるというのもちょっと不釣り合いな感じがするけど...まあいいや。
用意された野菜は、5種類。じゃがいも・カリフラワー・トマト・玉ねぎ・そしてスナップエンドウだ。もちろん肉はなし。
まずはじゃがいもとカリフラワーを角切りにする。「皮付き、葉付きの状態で500gずつ」と几帳面にはかりで測る。スナップエンドウの中身と水を加え、お母さんが送ってくれた圧力鍋に入れ、「シュー!」とけたたましい音で蒸気が4回上がるまでゆでる。
ところで、スナップエンドウの甘くみずみずしいさやを捨てようとするから慌てると、「え、インドではグリーンピースのさやは食べないよ?」と言う。彼が買いたかったのはグリーンピース、見た目で買ったらスナップエンドウだったのだ。確かにインドでグリーンピースは生のさやつきで売っているものだが、日本の青果売り場にはなかなかない。まさか野菜を買うのに冷凍売り場に行かないよなあ。ごめんね、ヴィルくん。
フライドポテトから、ラーメンへ。今はなんでもOK。
圧力鍋にかけている間に、トマトと玉ねぎのみじん切りをフライパンで炒めるのだが、ヴィルさんは玉ねぎを切りながら涙が止まらない。代わって私がみじん切り担当になる。
そうしながら、好きな日本料理の話題になった。何が好きかと聞くと「ラーメン!」と言う。ちょっと待て。ラーメンには焼き豚が載っているものだし、たとえ載っていなくても出汁にはほぼ必ず動物性食材が使われている。「肉入ってるけど...いいの?」と聞くと、「日本にいるときはOKなんだ」と笑う。3年前に日本に来た頃は、飲み会に行ってもフライドポテトしか食べられるものがなかったし、食事は毎日CoCo壱のベジカレー(動物由来原料が一切入っていない)だったというけれど、今は何でもいいことになっている。
ただし、生野菜のサラダは好きじゃない。卵は味がダメだと言う。戒律どうこうではなく、食べつけないのだ。
おいしいから、食べていい。フレキシブルな食戒律
ヴィルさんは、ジャイナの食戒律についてさらに教えてくれた。「厳格なジャイナは、地面の下の野菜を食べない。理由は...バクテリアがたくさんついているからかな?とにかく命を奪ってしまうから。それから、ナスも種が多いからダメ。トマトは、食べていい日がある」。
肉や魚も卵もダメ、野菜もなんでも食べていいわけじゃない。もう、逆に何が食べられるんだ!
でもそういえば、今日のパン・バジに使うじゃがいも玉ねぎは「土の下」の野菜だし、隣の鍋で作っているナスとトマトのカレーは、気絶するくらい種がいっぱいだ。ダメなものだらけじゃないか。
急に焦り出した私をよそに、ヴィルくんは笑って言う。
「どれくらい厳格に守るかは、人によるんだ。僕のおばあちゃんは厳しく守っていたけれど、母はそうでもない。それから、家族の誰かが好きだと食べていいことになる。たとえば、母はナスもトマトも食べないけれど、ナスとトマトのカレーは家族がみんな好きだから作るんだ。外で食べて新しい味を知ることもあるしね」。
”戒律”と聞くと物々しい感じがするけれど、「おいしいから!」で柔軟に解釈されていくのが、なんとも人間らしくほっとする。
彼があんなに玉ねぎでボロボロ泣いていたのは、実家であまり触れてこなかったからなのだろうか。きっと玉ねぎ耐性が私より低いのだ。
スパイスボックス一つで十分、使うスパイスはコンパクト
圧力鍋の中身がやわらかくなったらマッシャーで潰し、玉ねぎとトマトの炒まったフライパンに投入する。
そこにスパイスボックスが登場し、チリ・コリアンダー・それにターメリックを少々。「インドにはスパイスがたくさんあるけれど、僕はこのボックスの中のもので十分。あんなにたくさん使いこなせないんだ」。一つ一つ指差し確認しながら慎重な手つきで少しずつ投入しながら、「君の方が詳しいかもね」と笑ってる。
おいしいから、すべてOKにしたくなる
「パン・バジ」と「トマトとナスのカレー」ができあがった。コストコのパンを温めて大皿に積む。近所に住む友人の両親もやってきて、大人数の夕飯だ。インドを訪れたときも、こんな賑やかな感じだったっけ。
パン・バジは、ポテトサラダにも見えるけれどカリフラワーが入っているからみずみずしい。とろっとしてピリッとして、パンに合う。今までに食べたどんなインドカレーともちがう。鍋ごとテーブルに置かれたけれど、どんどん中身が減っていく。
インターネット情報ではムンバイのストリートフードとされているものが多いけれど、ヴィルくんいわくグジャラート州でも食べるし、家でも作るそう。他のカレーと比べて手間がかかるから、作るのは人が集まる時などちょっと特別な時だという。
パンは伝統食ではないけれどお父さんの若い頃にはあったそう。そういえば、ムンバイといえばイギリス支配の拠点となった都市だ。ふわふわのパンと共に食べるのは、イギリスから持ち込まれた文化の影響なのかも?
トマトとナスのカレーは、じっくり焼き付けるように炒めたことで強いうまみと甘みが出ている。これは確かに「食べてOK」にしてしまいたくなるな...
過剰に気を使わない食卓の心地よさ
この日の食卓には、一緒に作ったカレーの他に、友人のお母さんが持ってきてくれた春菊と水菜のサラダにワインも並んだ。ヴィルくんはみんなと一緒にワインを飲むけれど、サラダはほんの少ししか取らない。葉物野菜など最も"安全"そうなものだけど、「生では食べないものだから...」と敬遠する。友人のご両親はお構いなしになんでも勧め、だめだったら無理強いしない。
私が世界の家庭で食卓を共にするときも、そういえばこんな感じだった。お酒が飲めなくてもワインを勧められ、もうとうにお腹いっぱいを過ぎて苦しくなっていても「もっと食べなさい」とおかわりを盛られる。私にとってはそれがいやではなく、むしろ干渉されるのが心地よかった。同じ食卓を囲んで、関わり合いを避けるのではなく、ぶつかったり邪魔されるのが、居場所を与えられ受け入れられている感じでうれしかった。途方もない安心感を感じるのだ。
色々な宗教や食戒律を知るようになり、逆の立場だとなんだか過剰に気を遣ってしまうことがあるのだけど、今の世の中本当に人の立場も解釈も様々だ。相手のことはわからない。わかるのは、自分がどうしたいかだけ。教義も信仰も、好き嫌いも思想も、等しく気にして気にしないようにして、慮り合いよりもぶつかり合いを楽しむ食卓にしたい。
教えてもらった料理
パン・バジのレシピはこちら。(この家ではパン・バジと呼んでいるが日本語表記ではパオバジの方がよく使われるためレシピはそちらにしています)
にんじんで作ったミルク煮デザートもおすすめ。野菜をこんなに多様に変化させられてしまうのは、野菜との付き合いが深いからこそなのかも。