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≪10年越しの考察≫社会起業家についていま、改めて思うこと。

最近改めて、ビジネスとアートの関係性について考える機会が増えてきました。と言っても、どちらの分野も素人の私。特段高尚なことも高等なこと思いついてはいないのですが、やはり今、ビジネス領域とアート的なものの関係が、ぐっと近づきつつあるように感じています。
私がこの二つの関係性に関心を持ったのは、10年以上前にもさかのぼる「社会起業家」との出会いでした。
今回はそのあたりのお話をまとめてみようかと思います。

インパクトスタートアップスタジオに採択

今回、久々にnoteを書いてみようと思ったのには理由があります。それは現在参加している、福島県郡山市主催の社会起業家加速化支援プログラム「インパクトスタートアップスタジオ2024」にて、大きな学びがあったからです。
このプログラム、どういったものかと言うと、その名の通り「社会起業家」を郡山市を中心とした福島県内に輩出していこうというもの(ざっくりです)。私はこの事業に、自身が運営しているWebメディア「ff_私たちの交換日記」を事業化する目的で応募し、採択いただきました。
およそ半年間のプログラムの中で、事務局である地元IT企業の(株)PLAINNOVATION様に伴走していただき、スタートアップのプロフェッショナルをゲストに迎えながら、自分たちのやりたいことの実現のために走っていきます。

10月初旬のキックオフを皮切りに、先日はじめてとなる外部講師を迎えての講座が設けられました。ゲストを聞いて驚くことなかれ。あの今を時めく「ヘラルボニー」の創業者の一人であり、代表取締役副社長の松田文登氏。そして仙台市役所職員として長らくスタートアップ支援事業に関わってこられた(東北のスタートアップ界隈では知らない人はいないそう)、白川裕也氏だったのです…!
正直、Webメディアとして運営をはじめて3年目というペーペーかつ、“事業化”ということに関しては全くの素人の私。事前質問を事務局から求められつつも、「いったい何がどう分からないかが分からない」状態で、当日は期待と高揚感と緊張感をたっぷり携えて参加したのでした。

社会起業家とは何か?

まずはこの問いを無視して通ることはできません。「社会起業家」とは一体どんな存在なのか?私の社会起業との個人的な出合いは、2011年の東日本大震災の直後。とある書店で見つけた「社会起業家に学べ!」という今一生さんの著書(2008年/アスキー新書)でした。地元である福島県南相馬市が被災し、当時農家を営んでいた両親は避難を余儀なくされ、故郷を離れて働いていた私は「いったい自分は何をしているんだろう、何でここにいるんだろう」という、どうしようもない焦りと不安に潰されそうになっていました。その時に出合ったのがこの本で、この中で私は利益第一主義ではない起業があることを知り、それが「社会起業家」と呼ばれる人たちであるということを学んだのです。

3.11後、特に社会起業家という存在は注目を浴びるようになり、大きなインパクトを社会にもたらすような起業家たちも現れ、少しずつその存在も知られるようになっていきました。ただ、その定義を明確に把握している人がどれだけいたかと言えば、それほど多くはなかったというのが正直なところではないでしょうか。令和現在に乱用されている「SDGs」とか「持続可能な〇〇」と似たようなものを感じます(みんながなんとなくいい感じの言葉として使っているの意)。
震災から丸13年。東北からも様々な社会起業家やその卵、あるいはスタートアップ事業が生まれる中で、今一度「社会起業家」とは何か、というかさらにその奥にある「社会にとって良い起業/企業とは何か」ということを定義し直す必要があると感じているのは、おそらく私だけではないでしょう。

逆算できないビジネス

今回伺った白川さんのお話の中に、この長年のモヤモヤを晴らしてくれるヒントがありました。それは、これまでの一般的な起業が「二―ズ」を基にビジネスモデルを構築する一方で、社会起業は「社会課題」をその発端としているという点です。かみ砕いて言うと、「市場がありそうなところに入っていく」のと、「市場はまだないけど必要としている人がいそうだからつくる」という大きな違いが、この二つにはあると理解しています。「成功/儲かりそうなところ」をかぎつけて臨む起業は(もちろんそれも大変なことではありますが)、「そもそも成功も利益も未知数」という社会起業のオーシャンに比べれば、はるかにやりやすいようにも見えます。

≪起業家と社会起業家の違い≫

  1. 既存の起業家

    1. マーケットのニーズ

    2. 儲かる・誰かがやる

    3. ビジネスとして成り立ちやすい

  2. 社会起業家

    1. マーケットが放置

    2. 儲からない・誰もやらない

    3. ビジネスとしての難易度が高い

※白川氏講義より引用

これまでの「ニーズありき」の起業から見れば、社会起業のなんたる負け戦感。「そんな儲からないことやってどうすんの?」という当たり前すぎる問いを投げかけられた社会起業家も多いのではと察します。しかしそれでも「やらなきゃいけない(気がする)」というのが、社会起業家がこれまでの単なる利益追求型の起業家とは異なる、決定的な点にも思えるのです。

課題の本質・真の原因

社会起業の定義を見ていくと、既存の「ニーズから逆算」のビジネスモデルが成り立ちにくいこと分かります。これまで私も誰かに相談する度にこの矛盾にぶち当たり、「なんかちょっと違う」という言葉にならない違和感を抱えながら、ここまで来てしまったのです。
収益化しなければ…という焦燥感にかられ、「ECやってみるか?」「広告か?…いやだな」「協賛金?うーん…」など、Webメディアを自立・自走させるためにない頭で考えてはみるものの、そのどれもがピンとこない。おそらく、既存のやり方に倣えば今よりもマネタイズできる道筋はあるのでしょう。ですがそれらをイメージした途端、これまでの「やらなければ」という気持ちが濁り、純度の低い二番・三番煎じのつまらない発想の沼にはまってしまうのです。

白川さんの講義の中で、社会起業家が踏むべきビジネスモデルが示されていました。その中にあったのが≪課題の本質・真の原因はなにか≫を明らかにするということ。単に儲かればいいわけではない社会起業家がいつでも立ち返るべきなのはここのなのだなと、そう思った瞬間、それまでのつまらない小ビジネスの妄想は一旦捨てることを決めました。まずはこの課題の本質を磨いて、真の原因をつきとめることが必要だなと。
それは、「エシカルって何?」「サスティナブルな選択とは?」あるいは「福島らしさってどんな?」という壮大で、しかし根源的なテーマに向き合うということでもあります。でも、多分ここをスルーした起業なんて私にはできない。目の前のタスクに追われて後回しにしてきたこの≪問い≫への回答を、これから探していくことにしたのです。

ちなみにこのプロセスは、アーティストの思考法とも近い気がしています。かつて私が参加した現代アート講義にて、美術家の中村政人氏から言われた「アートとは何か」についての言葉もnoteにしたためています。本当にその通りだなと、改めて。

長々とまとまらない文章を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今後の活動についても都度更新していこうと思います。

2024年 霜降の郡山にて

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