見出し画像

【月便#10】手を動かす

5月からめっぽう過ごしやすくなった須賀川。
ホームセンターにも園芸店にもここぞとばかりに種苗が並び、まさにガーデニングシーズンといった感じです。かくゆう私たち夫婦も、リノベーションに追われて庭の一切に手を付けられなかった去年を経て、今年こそは庭を頑張る!という意気込みで、苗やら土やらをせっせと買い溜め中。
Nafshaの庭の土は実はとてもやっかいで、上はジャリジャリの砂、少し掘ればカッチカチの粘土という具合に、生き物が根を張るのには最悪のコンディション。去年も少しは耕してはみたものの、体力は奪われるわ耕した後もカチカチだわという労力対効果の薄さに、早くも心折れていたのでした。

そんなやっかいな土壌を抱えているので、今年は片手間でなくしっかりと向き合おうと、まずは春から生え始めた雑草を抜くところから始めました。でもまあしゃがんで草取りをするという地味な仕事の上、かったい土の上に生えているので、とにかく抜けにくい。プチっと根を残して抜けてしまう瞬間の徒労感とフラストレーションといったら…ありません。しかも慣れてない作業を長時間、イケてない手袋(時には素手)でやっていたため、夕方になって自分の指を確認すると、豆ができていたり、その豆がすでに潰れていたりすることもしばしばでした。

こんな風に書いているといかにも大変そうに聞こえますが、意外なことに外仕事をすればするほど、私はどんどん健康になっていったのです。それはきっと、純粋に体を動かしたからということもあるでしょう。ですがなんと言っても「手」を使っているという感覚が新鮮です。親指の付け根のふっくらとした部分がいい具合に刺激され、これがなんとも痛気持ちがいいんですよね。自分がいかに手を使わずに生活していたのかを思い知らされました。

手仕事、手作業、手芸、手工業…。「手」を使って表現される単語は世の中に沢山あります。最近では「手」とつくものにはどこか丁寧で、スピード社会に対してのアンチテーゼ的な意味合いだったり、スローライフなものとの組み合わせで使われるイメージもあります。もちろんそうゆう文脈での手仕事も大切だと思う一方で、私が感じた「あ、手って大事だな」という感覚は、もう少し直接的というか、もっとぐっとシンプルなものだったような気がしています。

現代で私たちが一番手を使っているシーンは、おそらく「スマホ」を触っているときでしょう。PCやタブレットも同様です。でもよくよく考えてみると、そういったデジタルデバイスで使っているのは、私たちの「手」というより「指先」です。当たり前のことですが、そのことを私は畑仕事をするまで無自覚でいました。ちゃんと「手を使う」と、自分の体や脳にも大切な刺激を与えてくれる。それはスマホでちょちょちょと指先を動かしているのとは、根本的に違う行為なのです。

 “手書き” も手を使う作業の大事な一例です。Nafshaでは4月から「お手紙予約」として、お客様のご宿泊予約をすべてお手紙で承っています。その返信ももちろん手紙で出すわけなので、私はこの4月から「手書きで文字を書く」という機会が格段に増えました。これまではPC一筋、手書きなんてメモでも嫌というタイプだったので、これは私にとって大変な変化です。

「ペンを持って手で書く」という行為は、学生の頃は当たり前でした。ですがインターネットの普及とともに、あらゆることがWebで完結できるようになってから、私は知らないうちにペンを持つ感覚を忘れていったのです。PCで書くのと手で書くのでは、やっぱり違います。物理的に使う手の筋肉が違うということもありますが、そのフィジカルな差異が、思考のプロセスに直結しているようにも思うのです。

PCは手書きよりも早く文字を表せますが、その分、文字の方が自分の思考を追い越してしまう危険性があります。でも手書きでは思考はペンの動きに寄り添って進んでくれる。だから書きながら頭の中を整理できるし、丁寧に推敲したり、内容を覚えやすい。何より極力間違えたくないので、集中します。実は「手で文字を書く」という作業の中でしているのは、自分との対話なのかもしれません。

畑仕事に、手書き文字。
『スマホを置いて、鋤を持とう。あるいはペンを。』
そんな気分の6月1日です。

guesthouse Nafsha
*Misato*

いいなと思ったら応援しよう!