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【月便#05】妥協したらあかんですよ

3月13日(土)、雨が降り注ぐ須賀川です。
久しぶりの雨ですが、気温も上がっているせいか、寒さよりも恵みのような柔らかさを感じられます。

さて、 #月のお便り 3月の新月編です。
毎回、月とは関係のないお話を綴っていますが、今回もそんな感じ。リノベーションを(ほぼ)終えて感じた、意外な気持ちを書き留めてみようと思います。

戦い闘い、のリノベーション

2019年の12月から本格的な物件の施工がはじまり、物件探しやデザインなどの計画段階を含めれば、容易に2年はかかっていたNafshaのリノベーション。これまでも度々noteで書いてきた通り、それはそれは「たたかい」の道のりでした。
自分たちの気持ちと現実が上手くかみ合わないことも多く、だけども一人ですべて作り切るのも難しいため、人の手を借りなければ出来上がらない。だけど私たちのヴィジョンやりたいことが上手く伝わらない。伝わらないどころか時には「めんどくせえ」などとボヤかれ(相手はプロで、こちらはお金を支払っていててもです)、一番面倒なのは "人間" のほうだな、と痛感した二年でした。
自分でも情報を集めながら、予算と現実と理想の狭間を行き来し続ける日々。迷った時に頭に浮かんできたのは、旧友がくれた言葉でした。

「ぜったいに妥協したらあかんですよ」
「大丈夫、超えられます」

美術作家である彼の言葉は、彼の作品がそうであるように、美しく、繊細で、絶対に嘘のないものでした。そうだ、私は自分の信じるものを信じぬいて、今ある自分の力をぜんぶ出し切るんだ。そのための「ぜったい妥協したらあかん」と「大丈夫、超えられる」なんだ。この言葉が、どれだけ救いになったか。これ以上ない言葉のギフトです。

ぜったい妥協しない、の先にあったもの

自分を鼓舞しながら進めてきたNafshaのリノベーション。その施工がほぼ完了となったとき、不思議と体中の力がふっと抜けていきました。戦い、闘い続けた2年の歳月を終え、自分なりに "やりきった" と思えた先にあったもの、それは思いがけず「これでようやく手放せる」という感覚でした。これまで「自分がしっかりしなきゃ」と負っていた部分を、完成したNafshaという場所が、自らの意思で歩みだしていくようにも感じられました。
「ぜったい妥協しない」という強固なこだわりの先にあったのは、まるっと力を抜いて手放せる、自由だったのかもしれません。

全力を出し切るから見える "自分のカタチ"

このリノベーション通して分かったことのひとつ。それは人は何かをつくるとき、「自分」を隠し通すことはできない、ということです。プロとして仕事をするときでさえ、作り手の存在や体温を隠し切ることはできません。「つくる」ということに全力で向き合ったとき、そこに立ち現れるのは、他でもない "自分のカタチ" なのです。だからこそ、人はものをつくる時、嘘をつけない。

頭で考えるよりも、手を動かしてみる。その先にある "自分のカタチ" 。
歩み出したNafshaという場所がどう育っていくのか、ぜひ一緒に見守っていて下さい。

guesthouse Nafsha
Owener Misato

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