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街は誰がつくるのか

を考えた一年だったかもしれない。
今年の4月にゲストハウスを正式オープンさせ、コロナ禍の暗黒のトンネルを右も左も分からずに(見えずに)進み続けた半年。ワクチンが効いてか感染者数が収まってきてから嘘のように忙しくなり、脳みそが震えた秋口から年末の数か月間。アクティブな時も非アクティブな時も、割と多くの時間を「まち」に費やしてきたように思う。

最近よく思うことがある。
SDGsやサステナビリティなどの言葉が一気に表舞台に躍りでて、テレワークやワ―ケーションなどがアドレスホッパーの次形態のようにもてはやされ、コロナの状況が相まって「新しい○○」という表現がよく使われるようになった。しかし、なぜだかどのムーブメントにも心ときめかない。「これだ!私も求めていたのは!」とか「ようやく時代が追い付いてきたか…(ドヤ)」みたいな高揚感が、一切と言っていいほど湧き上がってこないのだ。
どうやら私の中でこれらの世の中の動きは、どこか遠いところの出来事、うまく言えないが透明で分厚いクリアな壁の向こう側で起こっているお祭り、あるいは味のないガムを嚙まされているような無機質な事象のようだ。

またまたミシェルが辛辣なこと言うてるよ、年の瀬に勘弁してくれよと思う方もいるだろう。そうなんです、辛辣な気分と視線でこの「一過性の流行り」を見つめているのです。

須賀川に夫とUターンをしてきて2年半、ゲストハウスのリノベーションをしてからは2年、オープンさせてからは8か月。この期間だけでも地域の色々な関係性や文化、雰囲気を身をもって感じてきた。特に「ゲストハウスをやっている30代夫婦、Uターン組」というのはニュースバリューも割と高く、お国も県も力を入れている移住・定住政策なんかにもバッチリ合致しているので、仕事の話をいただいたり取材対象になったりと何かと目立ちやすい状況にあったのは確かだ。一方で、ゲストハウスの予約方法を「お手紙」にしてしまったために、私たち夫婦の中で「メディアに出過ぎない」という軸が定まり、ちょっとコンセプトと違うかもな…というお話は誠に恐縮ながら辞退させていただくようになった。

特に私たち夫婦が嫌だなと思うのが、「かたちだけ」の仕事。前述のSDGsしかりワ―ケーションしかり、「いま時代はこれでっせ」という空気に踊らされ、企業イメージや実績づくりのためだけに付け焼き刃で執り行われる事業・企画・政策を、死んだ魚のような目で見つめている。例えば福島県全体で見渡してみても、ここ数年で行政・民間企業問わずWeb(HP)の開設が広まってきた。コロナも後押ししてかは分からないが、「時代はWebらしい」ということをようやく嗅ぎつけて 笑、補助金や税金を“活用”して東京のシュッとした会社へ発注しているのだ。というわけで今の福島県のWebはかっこよくはなってきているが、実態がそれに伴っている(即してる)かは怪しいところなのでご注意を。
これも「なぜ」Webが必要で、「なにを」伝えるべきか、その点が十分に議論されずにかたちだけで仕事を押し進めてしまった結果だろう。

“まちづくり”においても同様だ。県内でも「まちづくり会社」なるものがいくつか誕生し、空き家バンクやまちづくりに関するあれこれを発信している。私はこのひらがな系“まちづくり”にも、正直胸やけ気味だ。これも東日本大震災後の数年の後に盛んに語られるようになった、ある種の分野のように思う。出始めた当初は私も感じるところが多かったし、共感したり「福島に必要なことってこうゆうことよね」と強く思ったりもした。しかし、である。震災後10年を迎え“decade”という単位を重ね始めた今、このひらがな系“まちづくり”もいよいよ盛りを終えて、日の陰りを見せ始めている。

なぜだろう。なんか胡散臭いのだ(爆)。ほんとに街のこと考えるって、もっと泥臭いし地味だし時間のかかることだと気づいたからかもしれない。どこそこのメディアに取り上げられ、自分たちのやっていることにカッコいい名前がつけられ、悦に入るのも悪くない。でも考えてみてよ、誰が偉いのよって。地元でコツコツと見えないとこで頑張ってくれている老舗のおっちゃんとか、ちゃっきちゃきの敏腕パートのおばちゃんとか、そんな人たちが居てくれるから、私たちの“まち”はあるんじゃなかろうか。

震災後から、私は常に「手を動かしている人」が一番好きだ。口だけならいくらでも言える。でもそれを実際にカタチにしていくには、手を動かさなければならない。理想も大事だし、それを考える頭も必要。だけどそれと同時に、ゼロから何かを生み出せる「手を動かす人」が今の地方には絶対的に必要だ。
最近自分より若い人に出会う機会が増えてきた。その中で感じるのは、どこかの本で読んだ事例、覚えたての横文字や用語をただ流用するだけの議論はしてほしくないということ。そんな「かたちだけ」の言葉を乱用して、どうか自分の頭で考えるということを放棄しないでくれと。幼稚に思われたって素人に見られたっていいから、「自分の言葉」を持って欲しいと、心から思うのだ。少なくとも、そうやって私は20代を過ごしてきた。

と言うことで来年は「自分の言葉を持った」クリエイターの方々と、手を動かしながら“つくる年”にしようと思う。辛辣なことも言うかもしれないが、その分本気で臨んでいる。この手から生み出すもので、いい加減なものは一切作りたくない(という意気込み)。どんなに稚拙でも誠意と意欲と愛情をもって、つくり続けたいのだ。

2021年12月29日
先生の命日に。
guesthosue Nafsha オーナー
佐藤美郷

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