モテるより、たった一人から好きと言われたい。
大学生の頃、「スイーツパラダイス」というデザートビュッフェのお店によく行っていた。チョコケーキ、プリン、ソフトクリーム…甘い物好きの私にはたまらないラインナップだ。ケーキは十個ほどペロリといく。何個でも食べていいという贅沢に酔いしれ、甘ったるい快に溺れるだけ溺れる。
と思ったのもつかの間、美味しかったはずのスイーツは、段々と食欲ではなく義務感から口に運ぶようになる。最終的には後悔の念が渦巻くのだが、それでもなぜか、懲りもせずまたスイーツパラダイスに行く。砂糖に操られた人形のように、また大量に糖質を摂取して、ほんの少し後悔して帰る。
そんな学生時代を過ごした私だが、社会人になってからは一度もスイーツパラダイスに行っていない。また違った食の楽しみ方を知ったからだ。ケーキを十個食べるよりも、最高の一個を噛み締める幸せもあると知った。とろけるようなお肉は一枚で十分満足だったし、お寿司はむしろお腹いっぱいになる前に自制するようになった。
大人になってから気付いたことがある。「スイーツパラダイスに行きたい」と、「モテモテになりたい」は欲求の属性が近いということだ。
つまり、「モンブランもわらび餅もコーヒーゼリーも食べまくりたい」と「好かれてぇ〜愛されてぇ〜」は同義だ。欠乏した部分を、何かに、誰かに、十分に満たして欲しいと願っているのだ。もしそれが叶って一瞬満たされたと感じても、その先に待っているのは幸福感ではない。
欠乏感が拭えないのは、恐らく自分の中に原因がある。それをきちんと自分自身で埋めることができたなら、「多量にほしい」という欲求は消えていく。
モテるより、たった一人から好きと言われたい。むしろ、好きと言われなくてもいいと思えるようになりたい。
と、なんのロジックも通っていないおかしな話を続けながら、「そんな君が好きさ」と笑ってくれる人と一緒にケーキを食べたい。一個でいいから。