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雨あがりの夕ぐれ時 ~二度目の襲名披露~
今年の夏は暑かった。これまでにもここで書いてきたように、この夏は思うように休みが取れず、その代わりにちょこちょこといろんなところへ出かけていった。コンサートやライブ、落語にダンスなど、これまでのわたしの人生の中で最もこのような鑑賞に活発な夏であった。
その活発さに輪をかけて、家のリノベーション工事が入ったり、家族に”こころ折れた”人が出現したり、家の中の善いこと・心地悪いこと・すっきりしないことが噴出することが、ますますその”ちょこちょこ出かける”に拍車をかけているようである。
ひとつ出かけるとそこで続きのような情報が入り、そしてまたと、時間とお金の許す限り、もとい、時間とお金を工面したくなるの無限ループが廻り始めるようである。
そして、今日はそのループの続きかはたまた拍車がかかって、團十郎・新之介襲名披露にお目にかかれたのである。
こころ折れた人が行きたいと言い出し、ふむ、今ならその費用は捻出できる、今ならなんとか時間が作れる、ということでこころ折れた人のせめてひと時共に過ごす時間を持ちたかったこと、そしてその人が少しでも日常から離れ自身のパワーの充電につながるようなことを共にしたいと考えて、チケットを確認したところ、なんと花道の横の席が取れた。なんと!ラッキー!
演目は義経千本桜。児太郎さんの華やかでそそとした静御前や右鍛治さんの最後の狐への豹変や、なんと動きのあるアクロバティックなそして華やかな演目で、予習なしでもついて行けるストーリー展開を楽しめた。有難いことである。
20分の幕間を挟んで、次は源氏と平湖のお話。こちらは雅な場面で動きは少なく、長いセリフが続くけれどストーリーは読めず、眠気に襲われてしまった。しかし、主役の幸四郎さんがおちゃめなせりふ回しもあり、緊張が途切れそうな時に笑いを誘った。その幸四郎さんのおちゃめさに、ダメンツの方が似合ってるかも、と思ってしまった。
次は30分の幕間を挟んでの口上。南座の時と違って一列で少し人数は少なかったけれど、しっかりと伝統芸能を受けついでいく覚悟や連帯、ご縁を感じる力強い言葉がちりばめられていた。先日会った友人が、「その人の生きた証はどんな人間関係を創ってきたか」ということにある話していたが、歌舞伎界のこの人脈のつながりは濃ゆくて、いろいろと難しいこともあるだろうに互いに支え合い、礼を尽くすことでさまざまな方面と繋がっているのだと感じる。
そして、最後に連獅子。團十郎さんと新之助さんの連獅子である。これを観たくてやってきたと言っても過言ではない。幸四郎さんと雁治郎さんの狂言のようなやりとりを挟んでの親子獅子ならぬ連獅子。なんとも華やかな三味線と唄で始まり、親子の美しい舞が展開される。両方を十分に観たい!と思いつつ、小柄な分動きが大きい新之助さんに目が行ってしまう。大人の團十郎さんはそれはそれで優美でありながら、新之助さんの動きの美しさにも目が引かれる。これは新之助さん、先が楽しみである分團十郎さんは一段と深みが出てくるのが楽しみである。
わたしの生活からは考えられないチケット代だけれど、身近な人と一緒に観に行けるなんて、なんとわたしは幸せ者だろうか。なんと贅沢な時間をいただいた。また家族と来たいと思うし、また来れるように自分の時間をしっかりと生きていきたい。そのように願うことが自分の中にわいてくる、そのようなひとときであった。
團十郎さん、新之助さん、今日舞台にかかわったみなさま
隣でご一緒した人
感謝。感謝。