雨あがりの夕暮れどき ~その日の朝~
その日の朝。 胸は・気もちはすうーっとしていた。重くなく軽やかさえあった。なんのよどみもなく透明で無風の穏やかさのなかにあった。 よかった。今朝の自分はこんな感じなんだ。そう感じた。
このところ毎朝、友人に教えてもらった祈りの言葉を唱えている。 それは万の神よ微笑みたまえ…?のような無敵の言葉であるそうな。 その友人の無邪気な信心にのっとって、しかし、半信半疑でこのところ毎朝唱えている。そして敬愛する精神科医の気功のポーズを取りながら唱えている。それが功を奏したのだろうか?その気もちは無音であった。
とにかくその日がやってきた。この5年程の間に自分の行きたいところへ行くために行ってきたことの、一つの到達点である。この二カ月ほどは家事以外の時間ほとんどを費やしてきた。できれば家事も誰かに託したかったが、諦めから協力を要請することもせずに来た。しかし前回とは違う準備はできたのかと思う。しかし十分ではない。そしてよりいっそう自分の盲点がクリアになってきたのも事実。さて、どこまでやれるか。
こうしてこの朝をこの気もちで迎えられたことは何よりである。これ以外のことは自分のコントロールは不能で、コントロールしようとすること自体が横暴で、それ故にこの二カ月はこのことだけに集中してきた。ありがたい二カ月であったし、もっと集中したかった。そしてもう一か月あったならよりよい処まで行けたかと思う。これも自分の限界。
そのためか、ストレスも大きかった。時に自分に甘くなってしまう。好きなテレビドラマを見てしまったり、映画を観てしまったり。しかし、これらはいい気分転換にもなり、脳を休めることにもつながった。脳はとてつもなくエネルギーを使い、食欲というよりもエネルギー補給を要求してきた。水分、糖分、でもそればかりではからだに悪いので食物繊維やたんぱく質も意識しながら摂った。そして運動不足を解消するために立ち姿勢で作業を続けた。これは立って作業をするだけでそこそこの運動量を稼ぎ出す。そして一日30分以上は歩くことをめざした。この時間はほとんど買い物に行く時間で賄ったが、良き気分転換になる。こうして自分のために集中できる時間は、体力づくりや心身の調整にのために自分と向き合う時間でもある。
いずれにしても。この無風無音状態でこの朝を迎えることができたことは、わたしにとってとても安心できる自身の状態で在った。有難い。家族が電気でそれぞれを生きていて、この日を迎えたこと。ありがとうございます。