大人になるきみへ➉ コペル君たちへ
★★★『大人になるきみへ』というのは、帝京大学病院難聴児親の会のメンバーが、5年間話しあい、知恵を出し合って執筆し制作した小さな本です。幼児期の言語指導を終えて、これから思春期を迎えようという子どもたちに向け、ああでもない、こうでもないと言い合った挙句にたどりついた11本のメッセージ。8人のお母さんたちが分担して執筆しました。
今回は、難聴の子どもたちに物事を、あるいはこの世界を客観的にとらえる術を伝えています。難聴児の親たちは、最終的にそこのところを何とか身につけて欲しいと、いろいろとアプローチを試みました。★★★
コペル君たちへ
きみは、コペルニクスの地動説を知っていますか? 私たちの地球が、太陽の周りをぐるぐる回っていると考えた。あの説です。
昔の⼈は、地球こそが宇宙の中⼼であり、太陽も星もみな、地球の周りを回っているのだという天動説を信じていました。その後、コペルニクスの地動説の正しいことが、ガリレイやケプラーの研究によって証明され、いまでは、みんなが知っていることですよね。
今⽇は、きみ⾃⾝の天動説を、コペルニクス的転回させてみたいと思っています。
⾃分こそが中⼼で、⾃分の⽬がとらえた現実こそ真実と考えていないかな?
⾃分はそんなワガママな⼦じゃないよと思っているきみ。真実をとらえるというのは、⼤⼈でも難しいもので、無意識のうちに、⾃分の天動説にひたってしまうことは、少なくないのですよ。
きみの⽬がとらえた光景に対し、きみは、こう思ってしまいました。しかし、きみがとらえた光景が、真実と⾔えるでしょうか。きみのくだした太郎君の評価は、正当なものだと⾔えるでしょうか。……そうでもないのです。
物事をとらえ、評価、判断をするということは、⼀つの視点からでは不可能です。しかし、⼈間、⾃分の判断基準のものさしを⼤切に⼤切にしていますから、どうしても天動説的におちいってしまいます。
きみが⾒た光景を別の視点からとらえると、つまり、コペルニクス的転回をしてみると、太郎君をあれほどまで怒らせた原因が⼀平君にあるのかもしれない。ぼくが⾒た事実の裏側に何か真実があるのかもしれない、という考えにおよぶかもしれませんね。
時間にすると⼀瞬のことかもしれませんが、⾃分の感情をいちど停⽌させ、考えをもう少し先まで、おし進めてみましょう。
これこそが、コペルニクス的転回のためのスイッチとなるのです。いいですか、いちど停⽌ボタンを押して、別のスイッチを押すのですよ。
こんどは、このスイッチを押し、筋道⽴てて考えをおし進めるための、思考のトレーニングに移ります。このトレーニングのために、下に提示した数学の問題を解いてみましょう。
さあ、どうでしたか?
思考の段階を⼀歩ずつ上るというのは、知り得た事実(仮定)を⼀つ⼀つ組み⽴てながら、全体像を明らかにしていく数学の証明に共通しているものがあります。
解法は他にもたくさんあると思います。
つまり、先ほどの一平事件のような⼩さな出来事に対しての⼩さな事実評価についても、いろんな道筋が取れるかもしれません。
しかし、やみくもに⼗⼈⼗⾊というわけでもなく、事実評価の中間報告については(まだるっこしい⾔い⽅ですが、⼈間の巻き起こす事件については、解答を出し、ノートを閉じておしまいにするというわけにはいかないので……)、⼀般的な、常識的な評価が出せるはずです。
多くの⽬が、ある程度まとまった筋道をとらえようとする感じ……、この、ある程度の筋道、⼀般的、常識的なセンというものは、わりあい⼤切で、感情的になっていると、ここまでもたどり着けないことが多いものです。
きみには難聴というハンディがあります。いま⽬の前で⾒えたことの判断、評価というのができても、それが間違っている、ずれている場合もあるかもしれません。⼀平君事件でいえば、きみの⽬がとらえる前に、⼀平君による太郎君に対するひどい侮辱があったかもしれない。⼀平君はきみに背を向けていて、他の⼈には、⼀平君の⾔葉の暴⼒のありさまが⽿からとらえることができても、きみには聞こえなかったかもしれない……。
だから、きみが⾒た光景に対する⾃分の評価というものを絶対的なものにしない。普遍の正義にしてしまわない、という⼼のしなやかさが⼤切になります。あまりに慎重になりすぎて、消極的になってしまうとマイナスなのですが、 このへんは友達の中で⼤いに学んでいってほしいところです。
いろんな⼈の⽴場に⽴って、考えてみてほしいのです。太郎君の⽴場、⼀平君の⽴場……、そして太郎君とも、⼀平君とも友情を深めてほしいの です。
聞こえないハンディをカバーするには、⼼を磨くことです。
いろんな友達をつくることです。
うんと本を読んで、いろんな⼈の⽴場を理解しようと努⼒してみてください。
そのことによって、⼼の広い魅⼒的な⼈格の形成が可能になります。
魅⼒的な⼈格の中においては、難聴というハンディすら、⼈格の⼀つの構成部分として輝くものになると期待しています。頑張ってください。