大阪市内でOLをしていたような義母が、父と知り合って淡路島に嫁ぎ、何人もおじいちゃんおばあちゃんをひとりで看取るも、義父に先立たれ、本当なら次は自分が息子や嫁に世話してもらい、悠々自適な老後を過ごせるはずなのに、ひとりで暮らしている。 なんて書くと、悲壮感たっぷりだけど、めちゃくちゃ元気。趣味もたくさんあるし、友達も多いし、忙しく楽しく暮らしている。 とは言え、田舎特有の無駄に広い畑や裏山の世話を80近い母がひとりで手に負える訳はなく、旦那さんが単身赴任先の東京から月に一度は
力強いメッセージを持ちながら、終始とても静かで穏やかな空気。物静かな表情にはクローズアップで迫りつつ、感情が昂ぶるシーンでは後ろ姿や少し引いた場所から傍観するような視点で見せているからかも。 団地の建物、部屋の間取りや90年代のインテリア、カセットテープ、絵のタッチ、丸文字、歌謡曲…。自分が見たことのある風景そのもので、韓国映画であることを忘れそうだった。そして映画自体は台湾の映画のような印象(数本しか観ていないのでアレだけど、湿度とか色合いとか瑞々しさとか、かな?)。 何れ
8年余り勤めたパート先を退職した。 新聞の折込みチラシで見つけたかかりつけのクリニックの求人に応募することを決めたのは、とにかく先生とスタッフの方みんなが穏やかで優しかったから。どうしてもそこで職を得たいと思った私はこれまでにない熱心さで履歴書を書いた。5枚はあったはずのストックで足りず、買いに走ったのを覚えている。 最後の日、大好きな先生と腕を組んで写真を撮った。 私は先生が機嫌が悪かったり、わがままな患者さんに声を荒らげたり、嫌味のひとつでも言ったのを見たことがない。金
服を着ることは、芸術家でもない表現の手段も持たないごく普通の自分には、小さな自己表現だと思っている。好きなものを好きなように、誰に気兼ねすることなく、死ぬまで、そう疑いなく思って生きてきた。なのに、最近は歳を重ねていく自分をつまらなく、悔しくさえ思うようになり、着る服に迷うこともしばしばで、それはつまり私にとっては生き方に迷っていること気付かされる瞬間だ。 服は素晴らしい。ミナペルホネンの服が出来上がる全ての工程に関わるたくさんの方々の想いが重なり、まるでアートのようなそれ