家族と過ごすのが理想のお正月?

「家族と過ごすのが理想とされている日」が嫌いだ。

「家族を大切に。」という素晴らしくて呪いのような言葉は、
家族に大切にされなかった人たち、家族を大切にしづらい人たちを、朗らかな笑顔で苦しめる言葉だと思っている。

今日になっても尚、私は母というものを受け入れられていない未熟な自分と面会しなきゃいけないことが嫌だ。

母を大切にしたい自分と同時に、
大切にしたいと思えるような姿でいてくれない母にも不満が募る。

妹と一緒に体力を使いながら取り組んだ2025年の目標、"家族"の欄に、「母の鬱陶しさをもう少し暖かく受け入れられる人間になりたい。」と書いたばかりなのに。

31日は一応帰った。
ただ狭くて汚くてノイズの多い家に一日中いることは、もう一度家を出て安全圏を得てしまった自分には耐えられなかった。

こんな気持ちになるなら、昨年みたいに海外に行っていた方が余計なことを考えなくて済んでよっぽどマシだ。

「来年一緒にいられるかわからない」「後悔しないように」

人間生きてる限りいつかは訪れる死という運命を引き合いに出しながら、この人を避けることを幾度となく控えてきた。
でも最近は、なぜか怖くて目も合わせられない。目に入れることすら避けてしまう。

老いていく母に目を向けるのが怖い。
自分を大切にしてくれない母に目を向けるのが怖い。

私が結婚でもしていたら、自分が築いた家族と一緒にいることで、家族を大切にしている人物になれるのに。

そう思いながら、一人で家の中にあったものを合わせて豆乳鍋を食べた。スーパーもやっていないこともすっかり忘れていた。
寂しさを埋めるために誰かを頼ろうとすれば、それもできるのだろうけど、人のことそんなふうに利用する自分も嫌だ。そういう人に利用される自分も嫌だ。

平気だと思いたい。誰に頼っても結局自分を支えられるのは自分だけ。

お正月という日に孤独でも平気。どんな日でも孤独に慣れないと。
平気平気。そういうハートを持たないと。

強くならなきゃ。がんばれ、私。

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