日本神話と比較神話学 第九回 文明の創始者と祭祀の創始者 アメノワカヒコ、ギルガメシュ、ジャムシード
1 はじめに
インドの神話によれば、遍照神ヴィヴァスヴァットの子には最初の人間ヤマと、現在の人間の祖先となるマヌがいた。
ヤマに対応するイラン神話の神格・イマ王(ジャムシード)はその統治で人類に黄金時代をもたらしたが、何らかの理由で神々と対立し罪を犯し、王権を失い殺された。また一説にはイマは不死で、ワラという洞窟で生存しているという。インド神話の最初の人間であるヤマも、最初の死者として、死後の世界を支配している。
一方マヌは神の助けで当時の世界を滅ぼした大洪水を生き残り、その後神々に供物をささげ女を創造した。彼はまた最初の祭祀者でもある。
このような、一方は文明を、他方は祭祀をもたらした半神の兄弟の神話はインド・イランに限らず、他の地域でも確認できる。
小論ではこの「文明の創始者」と「祭祀の創始者」の神格について、各地の神話の比較検討を行う。
両者は、神話において直接的に対立的に描かれることはない。しかし一方の子孫は滅び、他方の子孫は繁栄するという形で、継時的な流れの中でその相容れぬ在り様がうかがえる。
2 不死の饗宴
フランスの神話学者ジョルジュ・デュメジルはギリシア神話ではアンブロシア、インド神話ではアムリタといわれる、「神々のために提供される、不死をもたらす食べ物」に関する各地の神話から「アンブロシア伝承圏」という神話・儀礼複合の広がりを想定し、共通の起源たる原神話を考察した。想定される原神話は下記のようなものであった。
アンブロシア神話の中で最も重要なのは、インドのヒンドゥー教の「乳海攪拌」の神話である。
同様の神話はギリシア神話にも見られる。
日本の中国文学者・入谷仙介は著書『「西遊記」の神話学』の中で、中国・明代の小説「西遊記」に西域(東トルキスタン)を通じてインド=ヨーロッパ系統の民族の神話が流入してきていることを指摘している。特に「西遊記」の序盤、斉天大聖(日本では孫悟空の名で著名)という猿の神仙の物語はアンブロシア伝承圏の復元神話に極めて近い。
神々と半神の宴(蟠桃会)で提供される不死の食べ物(仙桃)を盗んだために、岩山(五行山)に半永久的に閉じ込められるなど、この近世中国の小説はギリシア・インドの神話以上に原神話の筋書きに忠実である。入谷は石猿の説話を西方からのアンブロシア系統の神話の流入として論じているが、一方古代中国には不死を与える女神としての西王母の神話・伝承が存在しており、西王母の宴である蟠桃会の伝承も、ギリシア神話の女神ヘラが管理する不死を与える黄金のリンゴが実る機のあるヘスペリデスの園と共通する、古層に由来する神話であるとも考えられる。
だが、この神々の食べ物を盗み地上に広めようとした半神が地下に落とされるというアンブロシアの神話は、本来は前節の、「文明の創始者」が神々と対立し、死後、地下に幽閉されるという神話と同じものだったのではないだろうか?
3 天降る文化英雄の罪と罰
イラン神話において、イマ王(ジャムシード)は次のように語られる。
イマの罪が人々に牛の肉を与えたことと関連付けられているのは興味深い。ギリシア神話でもティターン神族のプロメテウスはゼウスとのやりとりで、屠られた牛の肉や内臓と骨のうち、骨を神々、柔らかい肉や内臓を人間の取り分であるとしたことが、のちに地下世界タルタロスに幽閉される遠因となっている。
神々のための不死の食べ物を人間に広めたために文化英雄が地下に幽閉されるというアンブロシア伝承が、ここでは神々への供儀のための牛の肉を人間に広めたために文化英雄が地下世界に幽閉されるという形に置き換わっている。
またメソポタミア神話の神々の物語であるギルガメシュ叙事詩でも、神々の遣わした「天の牡牛」を殺害したことで、英雄ギルガメシュと神々の対立は悪化し、ギルガメシュの朋友の獣人エンキドゥが死ぬ遠因となる。
世界各地の文化起源の神話では、人間が文化(農耕・家畜など)を獲得したことが原因でそれまでの不死あるいは安楽(労働せずに食べ物を得られる生活)を失ったとされる。次のインドネシアの神話はその一例である。
さて、上記の神話は前半の労働(文明)の開始による天地の分離と、後半の大洪水後の神の与えたものを拒んだことによる人類の老化(死)に分けられる。
前半はインド・イラン神話のヤマ=イマの神話に対応している。イラン神話のジャムシードの治世のように、人々は不老で、地上が人間であふれかえる。(繁栄する)他方は後半はインド神話のマヌのように、洪水を生き延びる神話となっている。
「文明の創始者」の繁栄と幽閉の神話と「祭祀の創始者」の大洪水の神話は対をなすのである。
4 「文明の王」と「祭祀の王」
イマ王の黄金時代と地下への幽閉の神話は、人祖マヌの洪水神話は対をなす。それとおなじように暴君でありながら英雄である「ギルガメシュ叙事詩」の主人公ギルガメシュ王は不死を求めて、かつての大洪水の生き残り・ウトナピシュティムと邂逅する。またギルガメシュは冥界の神として信仰されたという。(「文明の創始者」の繁栄と幽閉の神話と「祭祀の創始者」の大洪水の神話は対をなす)
ギリシア神話でも暴君リュカオーン王に怒ったオリュンポス神族の王ゼウスの引き起こした洪水をデウカリオンは生き残る。
リュカオーン王は文化英雄の側面を持たないが、供儀によって神ゼウスと対立する。本来は先述したタンタロス神話のように神々のための供儀の食物を人間に広めたために罰せられたというアンブロシア神話(文化英雄神話)に属する伝説であったのかもしれない。
以上で論じた神話・伝承群は直接的には日本神話には確認できない。
しかし、その断片的な痕跡と考えられる神話・伝承は確認でき、ここでは比較・推定によって、日本神話における同神話の原神話の復元を試みる。
さて、以上の断片的な伝承はそれぞれ英雄神が(1)牛馬と作物(文明)をもたらし、(2)人々へ牛肉の提供した結果神々と対立するが、ついには(3)傲慢さから命を落とし死後、山に幽閉される、という文化英雄の神話として、一続きの流れとなっている。系統不明のアメノクマヒト、オオトコヌシと、アメノワカヒコはここでは異名同神と考える。(アメノクマヒトが日神・天照大神の命令で牛馬と作物をもたらすのは、「ギルガメシュ叙事詩」でギルガメシュ王が太陽神シャマシュの守護のもと、怪物フワワを退治したのに似ている。ギルガメシュは獅子の毛皮をまとっているが、アメノクマヒトも熊の毛皮をまとっているという意味の名だという推察がされている)アメノワカヒコは「国(地上の支配権)を獲んとして」高天原の神々と対立するようになるが、オオトコヌシという名前は地上の支配者の意味があると思われる。
アメノワカヒコの父親・天津国魂は系統不明の神格であるが、その名前は大国主神の別名・宇都志國玉に対応しているという。国魂は「国土を支配する神霊」とされる。よって天津国魂の名前は「天上にいる国土を支配する神霊」を意味している。つまりこれは高天原にいる、大国主神の有する地上支配権を継承する存在である、天照大神の長子・オシホミミを指すと解される。国津神との交渉に最初に派遣されたアメノホヒはオシホミミの弟であり、その次に派遣されたアメノワカヒコはオシホミミの息子であるということになる。
伝承によって複数の系譜が存在するが、古事記ではオシホミミの子供には天孫として地上の支配権を継承したニニギノミコトの他に長子・アメノホアカリノミコトが存在している。アメノワカヒコはこのアメノホアカリと同一の神格であるのではないか。
長子ホアカリが「文明の王」(イマ)に相当するならば、次子ニニギは「祭祀の王」(マヌ)にあたる。ニニギはタカミムスヒより「天津神籬・天津磐境」の祭儀を命じられるように(日本書紀一書・神代下段本段・第二)地上における「最初の祭祀者」であり、かつその子孫は大洪水を生き延び現生人類の祖先となる。(「海幸山幸」の神話)
以上を踏まえたうえで、日本神話と世界神話との比較の上で、下記のような原神話が推定復元される。
神ゼウスに不敬を行ったリュカオーン王とその息子たちは狼にされた。ニニギの兄としてのアメノホアカリの子孫にそのような伝承はない。しかし、一世代降って、ニニギの子孫で弟の山幸彦に服従することとなった海幸彦は「狗人(いぬひと)」ととして仕えると命乞いしたという。(日本書紀一書・神代下第十段第二)あるいはリュカオーン王の伝承と共通の古層の信仰が存在したのかもしれない。
5 おわりに
同じくキリスト教の異端であるカタリ派に影響を与えたという、バルカン半島に広がったボゴミール派キリスト教の神話では、サタナエル(悪魔サタン)とミカエル(地上に降りてキリストとなったとされている)は唯一神の双子の息子であったという。中世イランでもゾロアスター教ズルワーン派あるいはズルワーン教の神話では善神アフラ=マズダと悪神アングラ=マインユは時間神ズルワーンの息子たちであったという。
最初の人間の二人の息子の神話は、これらの神話を連想させる。
一方は神なき世界をもたらした結果滅び、他方は神への祭祀を守り滅びを生き残る。しかし、世界各地の神話は両者を諸宗教が語るような対立として描かず、あくまで継時的な物語の流れに置くのみである。
参考文献
工事中