それは、たぶん、ぜんぶ。#自分で選んでよかったこと
思い返してみると、大切なことはいつも自分で選んできた人生でした。
選んできたのか、選ばされてきたのか、選ぶことができたのか、結果として選ぶことになったと後から実感したのか、ちょっとよくわからないけれど。
誕生日と出生地と名前を除けばほとんどのことは、自分で選んだと言えると思う。
(数秘とか、それすら自分で選んで生まれてきたって考え方もありますよね。それならもう全て自分で選んでる自覚すらある)
私は自分が「やる」と選んだこと以外は、ちっともやる気を出せない困った頑固ちゃんだったのです。
とはいっても、いつも王道からはずれたことばかりしているわけではありません。
学校だって、楽しいと思ったことは正直ないけれど、小中学校は「ちゃんとした子」でありたくて、高校は大学受験のために、大学以降は学ぶため(模範解答みたいですが、当時研究者志望だったので本当です)に「いく」を選び、通った。
だけどもし、大々的にいじめられたりしたら「いかない」を選んで、違う学校に転校したりしたかもしれない。
そして私がこう思えるのは、両親のおかげだということも分かっている。
例えば私が大学院にもう「いかない」を選んだとき、父も母も、反対しなかった。
あと半年、修士論文を出せば卒業というところでやめたこと、誰に話しても「ご両親はよく反対しなかったね」と言われるし、振り返ると私もそう思うから。
私の選択をサポートしてくれたから今の私があること、本当に感謝している。
大学院まで行かせてもらったことへの恩返しは、「大学教授になること」ではなく、「死ぬとき、いい人生だったと思える人生を送ること」だと思っています。
ぜんぶ、自分で選んでよかったことで、選ばせてくれてありがとうと言いたいこと。
そしてもう一つ。
これらのことを自分で選んでよかったと思えるのは、選んだものが自分に合わなくなったとき、「それをやめること」を選ぶことができるようになったからだと思います。
大学院をやめたとき、両親は反対しなかったけれど、唯一、祖母に反対されました。「一度やると決めたことを途中でやめるのはよくない」と。
それが間違っているとは言わないけれど、私はその考え方は選ばない。
だって、選んだ時と今の自分は『違う自分』だもん。好きな食べ物が変わっていくように、選びたいものだって変わっていく。
その選択を変えられないなんて、苦しい。
また、選びなおせばいい。
そう思うと、たくさんのことを自分で選べるようになったし、「自分でえらんでよかった」と思えるようになりました。