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価値観の違いについての考察①「価値観の違い」が「問題」になる時

バイト仲間に、価値観の違いについて意見を求められ(?)てから、なんだか考え込んでしまっていました。

私自身は「価値観の違い」をそこまで大きな問題として捉えたことがなく、というのも、価値観って違うのが普通やん?と認識しているから。

違うのが当然で、そのうえで育み合うのが人間関係じゃないかなあと思うのです。



そんな私が『価値観の問題で関係を断つ時』を考えてみると、ふたつありました。


①その価値観をどうしても許容したくない時

これは「私はそうは思わない」レベルじゃなくて、「相手がそう思うことすら許せない」レベルの話です。だから、あんまり例え話にもしたくないような状況。

相手が誰であっても、反論せず、そっと離れるか、心のシャッターを下ろして対応します。友だちでも、家族でも、恋人でも、目上の人でも。



②そもそもその相手と育みたくないと感じた時

好き嫌い関係なく、私のことを価値が低いものとして扱う人の持つ価値観と育み合いたくないから。
例えば電車で痴漢する人なんかとは、千歩譲っても育み合いたいと思えないに違いない。

もし一度は近しい関係にあった相手でも、対等な存在として扱われていないと感じれば、その人とはもう

反対に、たとえば、相容れない上司だとしても。
お互い人間として対等に見ることさえできていれば「仕事を円滑にまわし、成果を上げる」という共通の目的のもと、相容れないまま育み合うことだってできる。

べつに、仲良しこよしすることだけが「育み合う」じゃないはずだから。




…というわけで
まず、価値観の違いをあまり問題視していない私が、価値観の違いを問題視するのはどんな時か、考えてみました。

次はそれを問題視せず関係を育もうとする時、私がいつもどのように考えているか、考えてみようと思っています(文章崩壊)。

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