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【簡単に自己紹介】先日、発達障害の薬が処方されました。
1992年生まれ、もうすぐ32歳の女。
本職は、姿勢改善専門のセラピストと接客バイトの兼業です。
発達障害疑惑の完全なるHSP
さて、私の中では数年前から、母の中ではおそらくもっと前からあった私の発達障害疑惑。
約10年前のHSP(繊細さん)ブーム黎明期、母から「あなたたぶんコレやで」と言われ、それにあまりにも当てはまっていたことで下火になっていました。時々、疑う瞬間はありつつも…。
移住早々、グレーからクロに
このたび奈良の都から山陰の果て(失礼)まで、はるばる移住し、新しい職場に2日で行けなくなり。
診断書のために行った心療内科でちらっと聞いてみた結果、インチュニブを処方されました。
その処方には、疑問を感じるところもあります。
でもこれで、堂々と当事者としての視点をシェアすることができる。
そのことに少しホッとした気分も感じました。
追記:11月、WAIS-IVの結果が出て、言語理解凸・処理速度凹の発達凸凹が数値化されました。現在は改めての診断は下されていません。
シェアしたいのは『ふつうにしあわせ』の視点
すでに沢山の人がシェアしている「当事者の視点」。それを私も!と思うのには、理由があります。私は『ふつうにしあわせ』に生きている、ということです。
『ふつうにしあわせ』
それは、困りごとがなくなったとか、周りの人全員の完全なる理解が得られた、とかそういうことではないです。私も、ときどき絶望したり大泣きしたりします。できないこともあります。もしかしたら周りに呆れられているかもしれません。
それでも受け入れ・受け入れられていることを感じながら、自分も周りも過ごしやすくなることを願いながら、生活していること。それを『ふつうにしあわせ』と表現しています。
私は、それを自覚してから、とても生きやすくなり、周りが優しくなったのを感じました。自分は何も変わらないのに、です。
願いを放ち、生きることを
特性を理解したり工夫する手段は、いま、たくさんあります。そのぶん、「理解しなければ」「理解してもらわなければ」「頑張らねば」と苦しくなっている人も、たくさんいるように感じます。
理解も工夫も大切だけど、ただ『ふつうにしあわせ』を求める気持ちも、とても大切だと思います。
このnoteでは、
① 私が凸凹でHSPという特性を持ちながら、どのように世界を見て、どのように対処し、どのように願いを放って生きているのか。しょうもないことも、しょうもなくないことも、書くつもりです。
② 特性ゆえにとても不器用な私が、どうやって姿勢改善の施術をしたり、自分の姿勢も改善したり、ピアノを弾いたりしているのか。かなり具体的な
記録を残そうと思っています。
※こちらは、メンバーシップ限定にする予定です。
必要としている人に届きますように。
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