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幸せに生きたいから、いちいち頭使って消耗しないことに決めた。
先日の山陰地方は、久しぶりに雨が降ったり止んだりしていました。
それが山陰の本来の天気だとは思うけれど、気圧の変動に弱い身としては嬉しくない。
休みの日だった私はベッドに沈み込み、青色の「安心」マークが並んでいる天気痛予報サイトに「どこがやねん」と突っ込みながら、まだ仕事中の夫に、今日は夜ごはん作るのサボりたいからうどんを食べに行こうと提案しようとしていました。
(ぜったいに丸亀製麺の牛すき釜玉に影響されている)
でも、スマホを片手に、ふと思ったのは。
きっと遅くなるだろう夫の帰宅とお風呂を空腹の限界状態で待ち、限られた時間の中でまあまあ混みあう丸亀製麺に並び、急いでうどんを胃に詰め込むのなら肉うどんくらい自分で作った方がむしろ楽かも、ということ。
だって肉うどんって、玉ねぎを切り肉と炒め、甘辛く味付けし、茹でたうどんにのっけるだけなのだから。
そこでハッとしました。
私の「ごはん作るのしんどい」は「ごはん作る」のが「しんどい」ではなかったのです。
どういうことか。
私がしんどく感じていたのは、
「うどんと肉は、車で5分(でも信号で混むのでもうちょっとかかる)ディスカウント系スーパーで買った方が安いよなあ。でもそのスーパーには好きなみりん(ちょうど切らしていた)が無い。帰りにもうひとつのスーパーに寄って買わなきゃ」
等々に考えを巡らせることであって、肉を炒めたり、うどんを茹でたりする作業自体ではなかったのです。
それに気がついた瞬間、私は考えるのをやめ、みりんが確約されている方のスーパーに行き(こちらは車で3分)、うどんと肉と卵とみりんを手に入れました。
あとはもう、甘辛く味付けした肉だけ先に用意しておき、夫が帰宅したらうどんを茹でればいい。
なんて簡単なことだったのだろう。
と、本質的じゃないポイントで勝手に消耗して勝手に疲れている(そしてそれに途中まで気が付かなかった)自分のアホさ加減が嫌になり、これからはぜったいに肉の差額200円程度の話ではスーパーをはしごしないぞ!と心に誓ったのでした。
さて、この話は、肉の値段の差200円が大きいか小さいかの問題でも、節約がいいか悪いかの話でも、外食するかしないかの話でもありません。
それらは本当はどっちでもよくて、
「自分が何をしんどいと感じているのか」
「どの状態を求めているのか」
①心の奥底の動きをすばやくキャッチして、②よけいなことは考えず、③肉体を動かすこと。それが、いちばん簡単に幸せな状態に近づくポイントなのだなあ、と肉うどんから学んだいう話です。
人間って、ついつい条件反射のように余計なとばっかり考えるシステムを備えているみたい。
見つけ次第解除していきたいと思った出来事でした。
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