任意売却の実際。孤独死寸前でアルコール依存症のAさんが立ち上がるまで。(中)
ある夏の蒸し暑い日、Aさんと一緒に目黒区にある裁判所の機関である民事執行センターに行きました。Aさんの自宅の競売資料を閲覧するためです。
競売の申立てをされた物件には、俗に言う「三点セット」と言われる評価資料が作成されます。裁判所から物件の評価を依頼された不動産鑑定士が作成するものです。任意売却を行う際、その資料が重要な意味を持つことがあり、Aさんの場合もそうでした。
競売資料は基本的に競売の当事者(物件の所有者・債務者・債権者等)しか見ることができません。その為、Aさんと一緒に民事執行センターへ向かったのです。
Aさんの自宅へ車で迎えに行き、約1時間半の移動。Aさんと二人っきりの空間で初めてまともにAさんと会話をしました。
Aさんは個人タクシーの仕事をしています。個人タクシーをずっと続けていて、その収入でマンションを購入し、家族が増えたことに伴って今の戸建てに買替をしました。
金融機関は一般的に、収入が安定しないと言われる個人事業や自営業の方にはなかなか融資をしてくれません。現在とその当時で景気状況も違うのですが、個人タクシーの仕事をしながら、不動産の買替ができたのはとてもすごいことです。それだけでも、Aさんがどれだけ仕事に力を入れていたのかが容易に想像できます。
そのAさんが、今のような状況になってしまったのは、仕事へのプレッシャーが原因でした。
3人の子供を育てながら、都内に新築の戸建てを購入。家族の安定は全て自分の稼ぎにかかっています。その重圧に長年耐えに耐えてきました。しかし、その重圧のために、夜なかなか眠れなくなってしまったのです。
タクシーの仕事で睡眠不足は致命的です。不眠を解消するためにアルコールに頼るようになってきて、ジワジワと時間をかけて、気が付いた時にはアルコールなくして寝ることができない体になっていたようです。
Aさんの奥様も当初かなりの心配をしていたようです。しかし何度注意して気を付けてもAさんはアルコールをやめることができません。どんどんアルコール中毒になっていくAさんをみて、しだいに愛想を尽かしていき離婚を切り出されてしまいました。その頃には子供達は独立していたので、離婚の話がまとまるのは早かったようです。
こうして私と会った時のAさんは広い一軒家に一人となっていました。もともと家事は一切やらなかったため、何もやり方がわからないのか、ゴミ捨てすらもすることはなかったようです。
Aさんは心のどこかで「このままではいけない。何とかしないといけない。這い上がりたい。やり直したい」その様に思っていたようです。それでもどうしてもアルコールに負けてしまう。もう仕事なんて何日もしていません。毎晩毎晩、いけないとわかっていながらも飲んでしまう。私と会ったときはジンビームという700mlのウイスキーを2日で1本のペースで飲んでいました。部屋には常にアルコールの匂いが充満しています。
そんな時に私が手書きで書いた手紙を見て、助けて欲しい一心で話を聞くことにしたそうです。だから、最初に上司と車の中で話したとき、内容自体はあまり理解はできていなかったけれど、とても真剣に聞いていたようです。
そして家の大掃除をしてから1週間くらいしたら、体がすぅっとラクになってきたようです。閉め切って澱んだ空気の中で、毎日食事をするテーブルにすら埃が積もっている。そんな状態から、毎日とはいかなくともできるだけ換気をして、少しづつでも空気を入れ替えて太陽の陽を取り込む。それだけでとても体がラクになったと言います。実際、Aさんは掃除をしてから少しして仕事を再開しました。口数も増え、受け答えもスムーズにできるようになっていったのも覚えています。
そしてAさんはドンドン元気になっていき、今では夢があるそうです。それは再婚です。なんでも、以前からの行きつけの飲み屋で知り合った外国の女性とのこと。その女性はまだ外国にいるけれど、任意売却が終わったら日本に呼んで一緒に暮らすと言っています。だからまだまだ終わるわけにはいかない、死ぬわけにはいかないんだと、力強く話していました。
その日のAさんは既に足腰が弱く、10m歩くのに大げさではなく30秒近くかかるような状態でしたが、とても元気な印象を受けたのを覚えています。
当時の私は、口数が増えて冗談も言えるようなAさんを見て安心した覚えがあります。しかし、その元気なAさんが秋を過ぎて年末を迎える時にはアルコール中毒の症状がひどくなり入院して、病院のベッドで年末を迎えています。
次回は、そこまでの物語を書きます。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。