科学は魔法じゃない
正月は積読を消化しようと思ったが、結局この本しか読めなかった。
なぜなら、この本が意外と手間取ったからだ。
『科学にすがるな!ー宇宙と死をめぐる特別授業』というタイトルからは中身が予想しづらい。
Twitterでヤンデル先生がオススメしなかったら、まず手に取らなかっただろう。
内容は、編集者が個人的な体験から死への恐怖を感じ、それを和らげるための言葉を求めて宇宙を専門とする科学者と対話する、というものだ。
しかし、冒頭から科学者の先生の話は主題から逸れてしまい、読者ともども煙に撒かれる…ように見える。
しかも、途中で素粒子やら物理学やらの解説が長く続き、文系人間としては読むのつらい。
つらいのだけど、読み終わってみると色々考えさせられる。
人はすごくつらい時、自分よりもすごそうな誰かにまるっと解決してもらいたくなる。
でも、それは良くない。
ちゃんと自分で、そしてみんなで、一番良さそうな解決策を話し合って決めなければいけない。
その営みこそが人間の在るべき姿であり、それを連綿と続けてきた人間は、けなげな存在だ。
…というような内容だと、私は思った。
科学は、単なるツールなのだ。
科学者を何でも解決する魔法使いのように考えるな、ということだ。
この本は2013年刊行だが、今読むとコロナ禍における医者や専門家に対する考え方を示唆しているようにも思える。
医者は、医学を扱う専門家で、高い倫理観を求められるのは間違いない。
けれど、医者に社会の在り方を決めさせるのは無理だし、危険なことだ…と言い換えることができる。
医学は単なるツールで、私達を救う魔法ではない。
考えてみればごく当たり前のことなのに、なぜ私たちはつい勘違いしてしまうのか。
多分、文系と理系(という分け方も乱暴だが)は言葉に対する定義やイメージの範囲が違うからではないか?と思う。
文系人間的定義では、宇宙ー未知ー神秘ー深淵ー生命の根源ースピリチュアルー宗教的…というように、連想がイメージとして言葉に纏わりついてくる。
ところが理系、とりわけ宇宙が専門の人間にとって、宇宙は宇宙でしかない。
実際に存在する宇宙、ただそれだけだ。
このギャップが、勘違いを増長する。
文系的には、宇宙が専門の科学者は神秘的な何かをわかっていそうな気がしてしまうが、そんな訳はないのだ。
誰かに丸投げして解決してもらおうとすると、結果としてロクなことにならない。
それは歴史が証明している。
だから私たちはそれぞれが学び、集まって相談し、今一番良さそうなことを何とか決めていくしかない。
やっぱり、学びが大事なのだ。
新年から読むには、なかなか良い本だったような気がする。