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得してる自分を認めるのは難しい
先日、運営スタッフをしているSUSONOというコミュニティのトークイベントがありました。
主宰の佐々木俊尚さんをホストに、ゲストを毎回迎える月例トークイベント。
今回は上野千鶴子先生をお招きしました。
上野先生のお話を聞いていて、何度も出てくるのは男性の既得権益について。
twitter界隈でこの手のフェミニズム論は大抵炎上案件で、その構図は「やや過激なフェミニスト系アカウント」VS「男性の生きづらさを主張するミソジニー系」のdis合戦であることがしばしば見受けられます。
このあたりの議論について思うところはあるのですが、それを一旦置いて思うのは「自分が得していることを自覚するのは本当に難しい」ということ。
誰でも、自分が損していることには敏感です。
同じ仕事をしてるのになぜ私の方が給料が安いの?
パパもママも同じ親なのに、どうしてママの方が「仕事より育児」と言われるの?
同じ大卒なのに、どうして大学名で待遇に差があるの?
同じ成績なのに、どうして年を取ってる方が落とされるの?
損してるという感覚は、不平等感からくるものがほとんどです。
本来は平等であるべきものが、不当に差をつけられた時に「損してる」と感じます。
でも、得してる方は、そのことになかなか気づかない。
得してる方は、それが平等であるべきとは思っていないからです。
同じように見える仕事だけど、自分の方が周りとうまくやってる。
ママが子育てするのが自然だし、子供にはママの方が必要だから。
学歴は受験で努力して勝ち取った成果だから。
同じ成績なら若い方が人材として「使える」から。
そう、そもそも同じ土俵にすら立ってない。
でもよく見ると、得してる側の理屈はキッチリした筋が通っているわけではありません。
大抵のケースは、今までの社会通念や慣習の域を出ることはありません。
しかも、ほぼ時代遅れの。
あるいは「自分が得できるのは努力した成果だ」と思っている場合も多いです。
成果主義、自己責任を重視する人は、この傾向が強い。
確かに、努力によって得られる利益はあります。
その土俵においてのみ、その利益は有効です。
例えば、どんなに法律に詳しくても弁護士の仕事はできません。
資格がなくては出来ない仕事においては、資格取得者とそうでない人には明確に利益の差がついて当然です。
ですが、こういうむしろケースは稀です。
ほとんどの場合において、何かのアドバンテージによって誰かが不平等を被らなければならない理由はありません。
どんな場合でも、あらゆるケースバイケースがあるだけ。
何かの属性によって利益が得られる理屈は成立しません。
なぜなら、人の能力や性質は様々な要素が絡み合って出来上がるので、カテゴライズ出来るものではないからです。
となると、「強者の理論」は既得損益を正当化して自分を楽にする理屈でしかありません。
私は女性なので、上野先生が話し、時に質問者の男性を叩き斬っていく様子を爽快感を持って見ていました。
でももし話の論点が、例えば学歴や居住地や両親の経済力だった場合、自分の既得権益を冷静に認めた上での議論ができる自信がありません。
いつでも、自分が「持ってる方」かもしれないと注意し続けること。
それを失念して相手を傷つけた時は、素直に謝ること。
議論するなら、相手と同じ土俵に立つこと。
出来るだけ、そういう自分でありたいと思うのです。
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