攻めていけ! #ラトビア日記 12
2023年11月13日 “家”がつなぐ関係性は今も昔も変わらないのか
朝から雨。曇り空。
元気を出すために、ごはんを炊く。昨日寝る前に浸水しておいたから、もちもちに炊き上がって満足。
日本の仕事の打ち合わせ後、課題のテキストを読む。
今週は、プレゼンこそないが読み物が多い。
今日読んだのはカール・マルクスの『資本論』。
課題は全文ではなく一部だけ。でも、オンラインで公開されているし、全文読んでみたくて、読み始めた。
マルクスの『資本論』を知らなかった人も『人新世の「資本論」』がベストセラーになり、興味を持った人もいるかもしれない。
わたしもその一人。著者の斎藤さんの解釈を読み、勝手に思い込んでいた言説と、マルクスの『資本論』はぜんぜんちがうのだなと知った。
『資本論』を途中で休憩し、アルメニアとギリシャ、コソボと西ヨーロッパの、それぞれのトランスボーダーズ(国境を超えて暮らす人々)の論文を2本読む。
2017年に発行された論文だから、ものすごく読みやすい……。すべてのテキストが、これくらいの読みやすさならいいのに……。
アルメニアに住んでいる女性は、一時期ギリシャに出稼ぎに行き、夫にお金を送り、夫はアルメニアで自分の店を開業したり家を建てたりしていたらしい。お店の資金源は妻の稼ぎにも関わらず、夫が始めた店は、夫の名前(例えばジョンという人が男性の名前なら『ジョンの店』)と呼ばれ、妻の存在には、誰も触れなかったという。
コソボの場合は男性がドイツやスイスへ出稼ぎに行き、実家にお金を送りつづけた。1999年以降は、出稼ぎ世代の子どもたちが大きくなり、紛争から復興するコソボより、すでにインフラや産業が整っている西ヨーロッパへ移住し始めた。
わたしはアルメニアやコソボの歴史について、前回のアイルランドの歴史同様、まったくの無知だった。
が、どちらの論文も、家の重要性に言及されていて、その内容が興味深かった。
国境を越えて出稼ぎに行った家族と、国に残った家族との繋がりを証明する手段がお金や物資のやり取りであり、その中でも家が重要だ、という考察。
コソボからヨーロッパに出稼ぎに行った男性は、自分の稼ぎによってコソボに家が建つことで、母国にいられない自分の存在を示すことができる。
ギリシャに渡った妻の送金で、アルメニアに残った家族(夫)が自分たちの家を建てることで、男性は妻の稼ぎをしっかり管理している・夫婦関係がうまくいっていることを示すことができる。
後者は理屈が違うが、家が重要だという点は共通している。
わたしも、北海道に家を購入した。
海外へ行くために、一時期は手放すことも検討した。
けれど“家がある”という事実は、少なくとも自分にとっては、大切にしたいつながりへの説得力を補強してくれる。
実家以外に帰る場所がある事実は、目に見えない人とのつながりとは別の、心強さがある。新築ではないため、管理は大変だし、あつかましいかもしれないけれど。
「いない」ことを選んだのは自分。「いない」事実は変わらない。
でも、「今はいないけど、前はいた」と思い出してもらえると、離れていても勇気づけられたりするものだ。
SNSでフォローしている・していないとは、ちがう重みみたいなものがある。これが、家=不動産と言われる所以なの?(ちがう)
わたしもある種、トランスボーダーズの一人なのかもしれない。
今日も、おつかれさまでした。
2023年11月14日 眠気がすごい
昨日から、猛烈な睡魔に襲われる。
夜、日付が変わる前に寝たし、ごはんを食べすぎたわけでもないのに。
今日は、国立図書館へ行き、課題の続き。
ラトビア語の初級に悪戦苦闘。文法を論理的に理解するよりも、パターンをとにかく暗記する感じ。
途中、あまりにも眠すぎて意識が飛んだ。
雨が降っていて、いよいよ氷点下になろうかというリガ。
図書館までは、行きも帰りも歩いていく。
どうしても勉強や仕事をしていると、座ってばかりいて運動不足になる。
なるべく身体を動かしたい。
帰宅後、SNSで「新月だから睡魔に襲われる人がいる」という投稿を見かける。そうなの?
2023年11月15日 働かなくちゃ VS マルクス
今日も今日とて課題。
『資本論』の続きを読む。
授業がめずらしく一コマだけだったから、自分を励ますためティーハウスへ。
日本や台湾のお茶が飲める。パソコンを開いて勉強や作業をしている人もたくさんいる。
急須に淹れたお茶に加えて、別の水筒にお湯を入れて渡してくれる。
継ぎ足して、いつまででも飲んでいられる。
ところで。円安が止まらない。
「日本経済、だいじょうぶ?」と何の根拠もなく不安になるほど。
いま関わっている仕事以外も積極的に取りに行かないと、また精神が不安定になりそうだったから、思い切って「仕事ください」投稿をしてみた。
お金のこと、考え出すと、一日中べったり張り付いて頭から離れないのは、わたしだけでしょうか。
もちろんラトビアでの仕事や、ラトビアを飛び出してヨーロッパ圏での仕事も探しているが、ビザの関係で今すぐ働くことができない。
なんていうか『資本論』を勉強しながらお金に翻弄されて「仕事ください」ポストをしている自分が皮肉で、落語の冗談っぽくて、笑える。
労働力をお金に換えて生きていかなければならない世界において、わたしの生み出す労働が、誰かにとって価値がなければ、意味がない。
……逆にマルクスから、ヒントをもらえるかも。早く課題の箇所を読んでしまお。
2023年11月16日 久々の晴れ
今週末、ラトビアは国民にとって大事な独立記念日。街の至る所に旗や装飾が取り付けられ、お店は独立記念日セールみたいなことをやっている。
土曜日が独立記念日で、振替休日の月曜日は、大学やカフェなど早めに閉まる。
学生のわたしには曜日はあまり関係ないが、どんな感じの盛り上がりになるのか、土曜日が今から楽しみ。
今日は久々に、ちゃんと晴れた。青空が見えて、太陽が昇っているのも確認できた。ひさしぶり。
あえて遠回りして歩いて、日光を浴びた。ビタミンDだいじ。
そして、夜には気温がマイナスに。冬が来る。
2023年11月17日 刺激的な授業
今週もやってきた、ある意味過激なラトビア語初級講座。
予習をしておけば過激度は下がるのだろうけど、他の授業の予習と準備、レポート提出でそんな余裕もなく。
今回は、先生が体調不良のためオンラインで授業だった。
オンラインの方が、やりやすいかも。
あいかわらず先生は同じ単語やフレーズを繰り返すだけで、文法がどういう理屈なのか詳しく説明してくれない。聞いても、正直よく分からない。「そういうもの」という感じでまとめられることが多い。なぜ……。
途中、体調不良っぽい他の学生が指名され、考えながら回答していたら、イライラしたのか先生が彼女の回答を遮って先に答えを言っちゃうこともあった。そのあと、その学生は名指しされても黙るようになってしまった。
申し訳ないけど、こんな授業だとラトビア語、嫌いになっちゃう学生もいるんじゃないかと思ってしまうよ……。楽しく学びたい。
ただ一方で、意味は分からないけど、とにかくなんとか着いていくことで身に付くちからもあるのかもしれない、とも思った。
前のページをしつこく遡ったり、回答に時間がかかっても記憶を探ったりして、何度も間違えて鍛えられる筋肉もある。
ところで、来週ライティングのテストらしい。生き残れるのでしょうか。
2023年11月18日 独立記念日
今日は、ラトビアの独立記念日。土曜日だけど、人通りが多い。
ラトビア中の人たちが一番盛り上がる、大切な日という印象を受けた。
先週の土曜日も、ラトビアの人々にとって大切な日だったが、先週は慰霊祭という雰囲気だった。
今回は、もっと浮かれている。お祭り。日本で言う、年末年始の雰囲気に近い。
雪もうっすら散らついて、寒さも本格的になってくる頃合いだから、年越しかなと勘違いしそうになるほど。
昼過ぎから街中へ出かけたが、1日中、あちこちでイベントや展示が催されていた。
本当は、合唱を聴きに行きたかったが「もう定員いっぱいで入れません。立ち見も無理」と門前払いを喰らってしまった。
無料の公演だったから、もっと早めに会場に行けばよかった。
2023年11月19日 突如入る逆ギレスイッチ
寒い。もう冬だ。
ちょっと早起きできたため、作り置きを調理。お醤油が小さいボトルだからか、すごい勢いでなくなる。アジアンマーケットに行って、大容量のお醤油を買おうかな。
スッキリ青空が見えるわけではないが、午後から雲が薄くなり、少し晴れた。
外を歩いたり、おしゃべりしたりして、少し元気が出てきた。
元気がなかったわけではないが「円安、どうしよう」モードから「お金に振りまわされるの、おかしい。わたしたちは自由に生きる権利がある」モードに、なぜか急に切り替わった。
今週ずっと、お金のことばかり考えていた──わけではないが、でも生きていく上で考えないわけにはいかない。
けれど、どうして不安がらなくちゃいけないのか、突然はてなが浮かんだ。
「うるせえよ、やりたいこと、やるんだよ」みたいな気持ちになってきた。
こういう、ある種の逆ギレモードは、突如やってくるのですが、皆さんにも経験ありますか? わたし、頭おかしいのかな?
有限の時間をこじ開けて、やりたくないことを嫌々やるよりも、例えば、日々の課題をちゃんとやったり、ごはんをしっかり食べたり、適度に身体を動かしたり、やっと整ってきたルーティーンを粛々と続けることに集中しよう、と思った。
今週の雑記:新たに始めたことについて
ところで、逆ギレスイッチの勢いに乗って、新たに始めたこともある。
何を始めたのかは後述するが、なぜ“それ”にたどり着いたのかを、書き残してみる。
*
アンティークのシャンデリアやボタンなどを使って、コスチュームジュエリーを作っている圓尾瞳さんという女性がいる。
彼女の作るものはもちろん、彼女のリフレクションの深さや、微細で素直な分析が好きで、インスタグラムをフォローしている。
圓尾さんの、いつかの投稿に「現在のブランドに辿り着いたのは、好きなことだけでなくお客様やファンの方々から求められていることを考え続けてきた結果だ」という趣旨のことが書かれていた。
その投稿を読んでからずっと「わたしが周りから求められてきたことって、なんだろう」と考えていた。
昨今の、社会人や学生に求められる姿勢の一つは「自分の心からやりたいことを大切に」だ。
けれど、自分がやりたいことを考えるのと同じか、もしくは時にはそれ以上に、周りに何を求められているかを考えることも大事だ。
わたしは、縁とタイミングに助けられ、書くことを仕事にできた。もちろん、「誰に頼まれたわけでもなく、息をするごとく続けてこられたこと」だったから、今でも仕事にできている。個人的には、好きなだけでは、続けられないと思っている。
noteは、みなさまのお目汚しになることは承知しつつ、自分との約束を果たすために書いている。
海外に来てから、もともと好きだったインフルエンサーのkemioくんの動画が今まで以上に染みるようになり、ビデオテープだったら擦り切れて絡まるくらい何度も見てものすごく励まされているのだが、彼のYouTubeでも「『早起きしよう』とか『痩せよう』とか、どんな些細なことでも、自分との約束を破り続けたら自分を信じられなくなって自信もなくなって行動できなくなる」というような話を聞いて、うなずきすぎて首がもげるかと思った。
動画の終盤、24分くらいから話しています↑
こうしてnoteに書いていることが、誰かのためになったらいいなとは思うが、基本的には自分のために、書いている。
「であれば、求められていることは、なんだろう」。
ここ数週間ほど、自問自答していた。
そのぼんやりとした問答のさなか、一つ、思い当たるものを見つけた。
ここから先は
¥ 100
この記事が参加している募集
読んでいただき、本当にありがとうございます。サポートいただいた分は創作活動に大切に使わせていただきます。