断食明けの帰省(mudik)
イスラーム教徒たちにとっては3月半ばから1ヶ月ほど断食(ラマダンramadan)がある。インドネシアでは断食が終わる前後に10日ほどお休みがある。こちらでは、レバランlebaran(断食明け大祭)が日本のお正月みたいなものだそうだ。人々は地元に帰省し、家族で集まり、ご馳走を食べて、レバランを祝う。子どもたちはお年玉のようなお小遣いをもらったり、家族でお揃いのお洋服を揃えて写真を撮ったりすることもあるようだ。
わたしは以前2018年から2021年まで留学していたことがある。2019年はそのままソロにいて、日常との差をあまり感じなかったし、そのあとはコロナ禍で、2020年と2021年のレバランは帰省が制限されていたこともあり、通常通り人々が帰省しているのを見たのは今回が初めてかもしれない。今回はレバランに関して考えたことがあるので書いてみたい。
レバランのお休みの最初は、なぜか急に友人に誘われてソロ郊外の茶畑に遊びに行った。(これはまた別記事に書くつもり。)驚いたのは、その人の数で、レバランの時には家族で観光地に出かけることも多いそうだ。わたしが行ったところも、子どもから年配の方まで、たくさんの人が楽しんでいた。
わたしはそれ以外はいつも通り記録をつけたり、インタビューに行ったり、ワヤンを観に行ったりりしていたのだけれど、今年はたまたまレバラン休暇の終わりにジョクジャカルタに行くことになった。用事を終えて、ジョクジャカルタから電車に乗ってソロに帰ろうとしたら、駅がすごいことになっていた。休暇も終盤、帰省先から普段住んでいる場所へ戻る人々で駅がごった返していたのである。いつもなら、余裕で電車に乗れる時間に駅に着いたのに、ホームに向かう通路にはすでに人がいっぱい、ホームにもあふれんばかりの人が立っていて、最終的には駅員さんが、これ以上は乗れないから次の電車に乗るようにと、電車を待つ人に乗車拒否をするほどだった。わたしも当初乗りたかった電車に乗れず、次の電車を待つことになった。
駅のベンチで次の電車を待っていると、瞬く間に人が増えてきて、人が林のようになった。これでは次の電車も乗れないかもしれないと思ったので、早めにホームの入り口に移動しようとしたけれど、発車30分前ですでにこの人だかり、疲れて泣いている子どももたくさんいてだいぶカオスだった。人に酔いそうになったのは初めてだったけれど、それでもなんとか電車に乗ることはできて、無事に帰宅することができた。
レバランの帰省とは話には聞いていたけれど(それをこちらの言葉でmudikと言う)あらためて、すごい数の人がインドネシア中で移動しているのだなと強く感じた。
そういえば、最近友人と話していて、教えてもらったのだが、レバランの帰省には宗教は関係ないのだそうだ。(その友人はキリスト教徒である。)レバラン明けには、イスラーム教徒でなくても、同じようにオポールoporやクトゥパットketupat(断食明けの定番料理)を食べるし、帰省をしたり、家族で集まったりするという。そしてその時が1年でいちばん盛り上がり、楽しい時間であるという。それならば、いろいろな場所が人であふれるのも頷ける。(実際には、イスラーム教の人が多数派ではあるのだけれども。)宗教に関係なく、さまざまな人が、ともにレバランを祝う、その絶妙にゆるいというか、寛容なところがなんともインドネシアらしくていいなと、わたしは思う。