「心地よさ」を紐解いて
海のある暮らし。私はnoteでも普段の生活でも何度も「海のある暮らしがしたい」と口にしていて、そして3年以内には海のある暮らしをきっと実現するのだけれど、とにかく海のある暮らしの私なりに感じる心地よさをこうやってしっかりと言葉に残しておきたい。ので今日はその記録です。
心地よいの正体を突きとめる
静岡市駿河区用宗。私が家を持たずに旅する多拠点生活をはじめてから出会ったお気に入りの街のひとつ。用宗とかいて「もちむね」と読む、しらす漁が有名で、サウナの聖地があるところ。静岡駅から2駅ながらも、ローカルな雰囲気を感じられる小さな港の街だ。
用宗には3回訪れていて、毎回とくに何をするわけではないのだけれど、とにかく暇さえあれば海に向かい、海が発する空気を存分に味わい、少しずつ変わる空や海の変化を見逃すまいと、必死にシャッターを切る。なんでもない、日々の暮らしをふつうに送る。そんな日々を過ごすだけといってしまえばそれまで。
だけど、用宗というこの小さな町は、本当にただただ普通に暮らしているだけで、心地いい。健やかで爽やかで清々しくて。そんなプラスな形容詞をたくさん付けたくなるほど、心地いい日々。
海の街が纏うあの空気なのか、そんな街で暮らす人たちの姿なのか、私が目指す理想の暮らしとの相性がいいからなのか。たぶんそんな「いい感じ」が混ざり合って、この「心地よさ」を育んでいるのだと思う。
「いい感じ」とか「心地よさ」みたいなものは、形としてあるわけではないので、向き合わないと忘れてしまう。でもこの「なんとなく」の感覚こそ、自分自身が大切にしたい価値観や時間の使い方だったりするはずで。
それを忘れてしまうのは寂しいし、その感覚をじっくりと味わうことをしないのは、なんだかもったいないなあ、とも思う。だからこそ、こうやって一つひとつの感情を紐解いてあげて、自分と向き合って、しっかりと言葉にすることを必死にしているのだ。
そんなこんなで、今日は私の用宗の滞在で感じていた「心地よさ」の正体を紐解いていこうと思う。
私がふだん「心地よさ」の正体を突き詰めようとするときは、まずは「事象」に目を向ける。実際にしていて心地よかった行動を振り返る。
そのあとに、その事象のどこがよかったのかを分解して考えてみる。そして、そのよかったことをさらにじっくりと考察したりかみ砕いたりして、「◎◎と感じるときに心地いいんだな」という結果を得る。
その繰り返しを最近は自然に頭の中で行っている。それを用宗の滞在にあてはめていきたい。
早起きをして海を眺めること
用宗にいたときに感じた心地よさでいうと、「早起きをして海を眺める」という行動から、心地よさを受け取った。
その行動を分解してみると、私は「朝」「海」が好きというよりは、朝の「朝の静かでまだ始まっていない感じ」「少し冷たくて鋭い空気感」や、海の「海がそこにある暮らし」「ぼーっと眺めているだけで肯定されていると思ってしまう感じ」とかが好きなのだと思う。
「海のある暮らしがしたい」
むしろ、私は臆病なので泳ぐのもマリンスポーツをするのも怖いから自分からは決して行わないし、海の潮で髪がバシバシになるのも、砂浜を歩いていて靴の中に砂が入ってくるのも苦手だ。なのに、「海のある暮らし」に猛烈に憧れてしまうのは、なんでなんだろう。そんなことを考えてみる。
それはたぶん、「海を日常に取り込んで海を拠り所として生きる」ことに憧れているからなのだと思う。朝海沿いを散歩したり、1日が終わる頃に海に沈みゆく夕日を眺めたり。そんな、何気ない毎日に「海のある暮らし」を取り入れられたら、日々の中で「心地よさ」を感じられるんだと思う。
このnoteでも「海のある暮らし」について書いているけど、このときからさらに、猛烈に「海のある街で暮らしたい」想いは強くなっている。こうやって感情の濃度や強さを味わうのも楽しいね。
そして、「朝早く起きて」の部分。これは単に元々低い私の自己肯定感を上げてくれる魔法なようなものでもある。朝起きられるとまず、自分を褒めたくなる。
そんな嬉しい気持ちで外に繰り出すと、澄んだ空気が迎えてくれて、スッと背筋が伸びる。この時間に起きれたという事実と、朝の気持ちの良い空気感が後押しして「心地よさ」を作っているのだと思う。
何でも無い「余白」を愛する
あともうひとつ、用宗で感じた「心地よさ」がある。それは、何でも無い「余白」を愛すること。上で書いていた「朝、早起きをして海を眺める」という行為は、完全なる無為の時間。それでお金が儲かるわけではないし、なにかを生み出せるわけではない。でも、だからこそ大切な時間なんだなあとも思う。
私はきっとせわしない日常のなかにも、ちゃんとした「無駄な時間」がないといけないみたい。だから、どれだけ忙しくても海を眺めてぼーっとする時間や早起きをしてまで海まで歩いていく時間が大切。そんなことを改めて感じられた。
日々のなかに小さな幸せ
最近はまっている「リュックと添い寝ごはん」というちょっと変な名前のバンド。彼らが歌う「くだらないまま」という曲が本当に私の「心地よさ」にマッチしていて、ずっとずっと聴いてしまう。
未来のためにやりたいことも、日々のタスクも、考えるべきこともたくさんあるけれど、先のことはいったん忘れて「今ここ」の景色や自分自身の感情を大切に。そんな気持ちを忘れたくない。
こうやって「なんかいいな」「心地いいな」をしっかりと分解してあげて、自分自身にもっともっと心地よさだったり好きな瞬間を感じさせてあげたい。そういった日々のなかにたくさん小さな幸せを集めていって、どんどん理想の自分や理想の暮らしを見つけていけたら、それほどの幸せはないだろうなあ。
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