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余白の時間を愛せる街
尾道の街に来たら、ついつい嬉しくて無駄に街を歩き回ってしまう。路地に迷い込んでみたりして、ひたすらに坂を駆け上る。歩いていると、毎日同じような写真を無駄に撮りたってしまうし、無駄に海を見ながらぼけーっと何もしない時間を過ごしてしまう。無駄に早起きをして海から昇る朝日を見たり、無駄にゆっくりとオレンジに染まる夕焼けを見たり。尾道に来ると、本当に<無駄>な時間が多いように思う。
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けれど、尾道に来ると、なぜかその無駄さえも愛おしく、そんな時間をゆっくりと味わい尽くしたい、なんて気持ちになる。<無駄>といわれそうな時間は尾道にいれば、またたくまに<余白>の時間となるのだ。
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都会にいるときとは、なにかが決定的に違う。時間の流れ、人の多さ、穏やかな街の空気、なにもかも。都会での生活は、無駄がないように最短ルートで目的地に向かったり、夕日が沈む時間すら知らず仕事をしていたらあっという間に夜になったり。都会はどちらかというと、無駄な時間を過ごすことをためらってしまうような時間の流れ。
どっちがいいとかではなくて、だからこそ私は尾道という街に流れるこの穏やかでみんながみんなゆっくりとほぐれていくような街にただよう空気が大好きなのだと思う。
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そもそも、無駄を愛するためには、マインドセットが必要だ。無駄な時間を過ごすことに焦らないような心の余裕。「こんな時間もいいよね」と思えるようなおおらかな気持ち。どっしりとじっくりと時間が流れていく、目に見えない何かをしっかりと味わえる余白を持つ時間。そんなものが、日々の暮らしには必要だと思う。
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気になるパン屋さんで焼きたてパンを買って、コーヒーとともに海を見ながら味わう。景色を眺めながらぼーっと本を読む。コーヒーを飲んだり本を読んだりすることは、家にいてもできること。だけど、思わず外に出たいと、街の空気を吸いたいと、足取り軽やかに街を歩く気分にさせてくれるのは、何よりも尾道の魅力だろう。
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余白を愛そう。無駄を愛そう。ちょっと寄り道しても、回り道をしても。その過程で味わう感情や出会う景色に、無駄なものは決してない。尾道の街の空気は、やっぱり何度来ても私に「じっくりゆっくり日々を味わう」を体感させてくれる。そんな場所をいつまでも守っていきたいな。
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