小指が折れて、考えたこと。
私はよく、イスの角で小指をぶつける。
せっかちだからなのか、足元をよく見ていないからなのか、それとも物の距離感の感覚が現実と違うのか。
いつも小指をぶつけた時には「痛っ」と思うのと同時に「またやっちゃった」という自分への呆れのような気持ちを抱く。
けれど、今回は何かが違う。いつもが「痛っ」なら、「いっっっっった!!!」くらいの痛さだったのだ。
「またやっちゃった」という呆れの気持ちを抱く余裕もなく、倒れこむほどの痛さにもだえていた。
まさか、こんなしょうもない日常のできごとで、骨折をしてしまうなんて。
もちろん、イスの角で小指をぶつけるだけで骨折をするなんて、病院に行くまで思いもしなかった。
だから「当たり所が悪かったんだろうな」と痛さが落ち着いたらすぐに仕事を再開。
なんだか、じんと痛みが続く。靴下を脱いでみたら、それはもうはち切れんほどに腫れていて、焦って保冷材で足を冷やす。
あぁ、これはやばいやつかもしれない、とようやく思い始める。
夜には、少し体重をかけるだけで声を出してしまうほどの痛さ。寝ようとしてもじんじん痛い。
次の日、足を引きずりながら歩いて10分の場所にある整形外科へ向かう。
1時間半、本を読みながらレントゲンと診察の順番が来るのを待つ。
「あ、ここ折れちゃってますね~」と、「今日はいい天気ですね~」くらいのテンションで言われた。そりゃ、痛いわけだ。
不幸なことに、この日はライブの予定があった。チケット代は支払い済みだったので戻ってこない。
しかも、週末には、東京と鎌倉に10日間旅行したりワーケーションしたりする予定だった。
友達と会い、東京に住んでいる弟と会うために岐阜にいる母を呼び寄せ、5日間のひとりワーケーションを経て、1週間違いで東京に予定のあった夫と待ち合わせる、完璧な予定を立てていたのだった。
多くの人を巻き込んどいて、私は、このたった小さな小さな小指の骨が折れてしまったために、すべての予定を変更せざるを得なかった。
小指が折れて、考えたこと。
たった小指が折れただけなのに、あまりにも生活が違いすぎる。いままで大切にしてきた習慣が、音もたてずに崩れていくよう。
習慣にしていたヨガはできないし、大好きな散歩もおあずけ(最近ようやく朝や夕方の気候が秋らしくなってきたというのに!)。家事や掃除をするのにも時間がかかるし、部屋は散らかる。
9月は休みもたくさん確保して20代最後を楽しもう!と思っていたのに。予定が崩れてできることが少なくなったので、方向転換してやりたいことを考え直してみた。
まずはギター。先日ようやく自分のギターを買ったので、10月には公園で弾き語りができるようになっていたい。毎日少しずつ練習する。読書も欠かせない。これを機に図書館から大量に借りてきた本を読んでいこう。あとは、エッセイをまとめて本にしたり。せっかく文学フリマで創作欲が高まったので今のうちにたくさん文章を書いておこう。
ちゃんと骨折したからこそできたことに、目を向けていこう。
皆さんも、イスや机の角には気を付けてくださいね。