[番外編] キラッキラ大都会から縁もゆかりもない田舎に移住するまで
ー思い切って仕事を辞め、北欧で暮らしていろんなことを学び、コロナ時代に田舎に住む選択をした話。ー
わたしはnoteやブログ等を読むと必ず
「この人はどういう人なんだろ?」と気になるので
移住してからよく聞かれる質問
「なんで都会からこんな田舎に来たの?」
「なんで地域おこし協力隊なったの?」
「司書持ってるの?今まで本の仕事してたの?」
の答えとして、私のこれまでの半生を書いてみようと思います。
(今現在どんな活動をしているのか、気になっていただけた方はこちらもぜひ↓)
元々、公務員は絶対無理!なタイプ
私は北海道の生まれ育ちで、高校の時には"北海道なんか嫌だ都会に出たい!"と思っていました。しかし呆気なく受験に失敗し、大人しく道内の大学に4年通いました。(結果、これはこれで良い4年間でした。めでたし。)
そして迎えた新卒の就活。天邪鬼、反ミーハーの私は、同じスーツで同じ受け答えをする就活は耐えられませんでした。お堅い公務員なんてもってのほか。父が公務員で、私の目には大変そうに映っていたというのもあったかもしれません。
国際交流事業に参加していたことで時期的にも出遅れ、就活は難航しました。が、最後の最後に雰囲気が好きだったな…と思えた会社から内定をもらって無事に就職。ここで運を使い果たしたかもしれません。
就職先は東京のイベント制作会社。
学生時代にフェスの制作運営に携わり裏方仕事に魅力を感じたことから、やってみたいと思った職種でした。社員20名に満たない小さい会社ながら、仕事は大きな華やかなものが多く、ずっと都会に出たかった私にとってパーフェクトと言えるキラッキラ大都会ライフが始まりました。(そこから予想外の苦悩、体がボロボロになっても会社が好きで辞められないループに陥っていた日々、退職決意までの話はまた別途……。)
そんなに大都会を楽しんでいた私が何故、縁もゆかりもない"ど田舎"とも言える、小さな町に移り住むことになったのか。
北欧ひとり旅で見えたもの、変わったこと
東京の激務を4年続け、会社も人も好きで仕事も嫌いではなかったので、悩みに悩みに悩みに悩んだ(泣いた)挙句、26歳で退職。
「独身のうちにしたかったことは、留学とか“長期“の海外滞在〜」というのをよく耳にしていたので、こんな自由な時間は今しかない!!!と北欧へ長期で行く!と決意。
[必ず聞かれる質問 "なぜ北欧?" ⇨環境問題へのアプローチ、森のようちえんやフォルケホイスコーレなど教育、持続可能な暮らし、男女平等・ワークライフバランス、政治家が若い、大好きなインテリアや食器・家具のデザイン、森と湖、なんかオシャレ、などなど、気になることは全て北欧に詰まっていて、行ったことがないのに既に北欧に惹かれていたから。]
①北欧の暮らしを体験すること
②本当の意味での持続可能な暮らしを学ぶこと
③長年コンプレックスに思っていた英語力アップ
この3つを目的に設定して、
#大人のギャップイヤー #大人留学 と称して旅に出ました。
北欧諸国ではホームステイをしてローカルな暮らしに入り込み、アクティブにアウトドアな旅をして雄大な自然を感じて、いろんな国の人と出会って、思う存分学びました。沢山の出会いによって視野が物凄く広がって、人格を変えるほどの新たな価値観を得ました。(文字数減らそうと必死な要約。)
後から振り返れば、巷でよく言う“自分探しの旅“となっていて、しっかりと人生のターニングポイントとなっていました。
過去でも未来でもなく、"今"を生きている人々とたくさん出会って私の意識も変わりました。日本人が話す北欧話にはよく"今を生きる"がキーワードに上がる気がします。
これがストンと腑に落ちたときには
本当にハッ!としました。
そんな学び多き10ヶ月を経て、渡欧前には想像がつかなかった自分が帰国しました。会社を辞めた時には喉から手が出るほど欲しかったのに見つけられなかった、「自分が今やりたいこと」が何となく思い浮かんでいたことが驚きでした。
そんな風に今を生きることに焦点を当てて、実現したい小さなことを一つずつ拾っていった時、私にとってまず大切だと思ったのは拠点選びでした。
住む場所は仕事や結婚などのライフイベントから選ぶと思い込んでいたけれど、この時には仕事も家もなくて、住む場所は自由だと気付き、また自分にとっては環境がとても大切だと気付きました。
北欧の暮らしが本当に幸せだったので、今後も海や湖に近くて、外でご飯が食べられるような、“自然豊かな所で暮らしたい" 。ネット社会のこのご時世、場所が先でも、工夫次第でやりたいことは後からいくらでもできるとも思いました。
たまたま見つけた求人、図書室 ✖︎ 町づくり(?)
地方移住を考えて最初に見たのは空家バンク。
俗に言う“フッ軽“だったので、いつでもどこにでも行けるリモートワークを考えていました。
しかしいざ空家を探してみると難しく……
成功者を見てみると、
まずは住んで繋がりを持ったり、
実際に土地を歩いて住民に話を聞いてみたりする方が
良さそうだという印象を受けました。
そんな時に私が条件としていた「海や湖が近いところ」の、町HPで目についた見出し。本当にたまたま目に入ったのが、地域おこし協力隊の募集でした。
その頃は地域おこし協力隊については全く知らず、「地域おこし協力隊って町のPRするやつでしょ?」という偏ったイメージしかなかった私。しかしここにあった求人は「図書室✖︎町づくり」。
もともと本好き、更にコミュニティデザインも興味がある分野。これなら私もお役に立てるのでは!面白そう!とワクワクしました。
けれども。半公務員、、、しかも「施設付き」というのは、、、“フッ軽“の私はだいぶ息苦しくなることが容易に想像でき、ひるみました。でもでも、仕事も家も一緒に手に入れることができるなんて願ったり叶ったり!とりあえず応募するだけしてみよ!と、軽い気持ちで申し込みました。
村八分、小さい町に住むという不安は私にもあった
最初に面接に行った日のことは忘れられません。
早く到着し、私がこの町に辿り着いた要因である
大好きな海に寄ってみました。
3月の海。
なんとも言えない冬の雰囲気。
寂しい。
寂れた雰囲気が倍増して迫ってくる。
わたし本当にここに住むんだろうか。
こんな、知らない田舎にひとりで移り住んで、
本当に大丈夫だろうか。
旅慣れ・独り慣れはしていましたが、
長く住むとなると話は別です。
いろんな町に住んだことがあり、田舎に住んだ経験もあり、けど人口4,000人を切る、きっとほとんどの人が知り合いになる、そんな規模の町には住んだことがない。
噂話や村八分な雰囲気が苦手な私は耐えられるんだろうか。
次から次へと不安ばかりが押し寄せてきました。
しかし。
面接官の皆様は私がそんな不安を感じていたとは露知らず。
面接の後そのまま家を見に行き
合格をいただき引っ越し日程が決まり
急いで中古車を購入し
トントントンと物事は進み
気付けばもう引っ越していました。
気付けば、あんなに無理!と思っていた
公務員にほど近い、完全にフッ軽にはなれない
施設付き勤務になってしまってました。
図書室や本屋での経験もバイトすら無く、
本当に急に舞い降りてきた選択肢。
これこそ「ご縁あって〜」ですね。
道産子でも名前も場所もよく知らなかったような町に、“ご縁あって“、すんなり移住してしまいました!
あんなに、北海道を出たい!!!と言っていたのに。
東京では寝る間も無いほど働き、イベントや芸術美術などの田舎では滅多に触れられなかったものに全力で出会いに行き、友人達と気になるレストランを次から次へと見つけては飲み明かし、という大都会生活を満喫していたのに。
今、出身の地元よりも田舎に暮らしています。
不思議。
確実に"外に出たからこそ"わかる北海道の素晴らしさに改めて魅了されているので、戻ってきたのも当たり前と言ったら当たり前ですが、不思議と言ったら不思議。
移住半年で感じること『コロナ禍の大正解、地方移住』
そんな感じで軽々と移住してしまいましたが、このコロナ禍で田舎に来れたことは本当にラッキーだったと思っています。田舎の良さについてはまた改めて、酸いも甘いも知ってから語ろうと思いますが、、、
ひとまずコロナ禍で地方に来てよかったと思うことは沢山あります。
● 電車やお店など、人混みと無縁になれること。
● 美術館やショッピングモールなど
大勢の人がいる場所に出歩くことが減ること。
(そもそもそういった施設が無い。)
● すぐそこにいつでも行ける大自然が沢山あり、
休日に街ではなく山や海に行くようになること。
● 全体的に人が少ないので、マスクなしで
深呼吸できるタイミングが多いこと。
● このご時世、都会とはネットで繋がれる程度で
十分と感じること。
さらに、想定外だったメリットは
● 田舎に来て、沢山の刺激を受けていること。
田舎に住む懸念点の一つは文化芸術に触れられず、面白い人と飲みに行くことも減り、刺激がなく退屈するんじゃ無いか。ということでしたが、田舎にも面白い人たくさんいる。映画館や美術展示やイベントごとが恋しくなる日はありますが、1日も退屈したことはありません。刺激が足りないーとなったこともありません。
こんな一般人のエッセイを長いこと読んでくれた皆さんにな、人生どん底だーと思った時、毎日なんだか辛いなって時に、もうちょっと好きに生きていいということを思い出してもらえることを願ってます。みんながもうすこーし軽い気持ちで生きていけますように。
今日の一冊は"今ここ"について。
『今ここを生きる勇気』