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Echoesと広島とハン・ガンと
羽生結弦 ICE STORY 3rd “Echoes of Life”の公演が広島でも行われると知って最初に思ったのは、MIKIKO先生の故郷だ!ということでした。そしてMIKIKO先生がインストラクターをしていたアクターズスクール広島の地であり、すなわち私がゆるく長くファンなPerfumeの3人の出身地であるということも(羽生くんには”FAKE IT” をバキバキに踊ってほしい)。
次いで想起したのは、前作のICE STORY 2nd “RE_PRAY” 佐賀公演二日目のアンコールMCでした。一人で12もの演目を演じ終えて疲労困憊だろう中で、「朝、偶然ホテルのテレビで見た。ここ佐賀は長崎の隣りなので」として、核廃絶運動に取り組む広島出身の大学生のドキュメンタリー番組の話をしてくれました(こちらでまだ見られる模様)。4階席まであるSAGAアリーナの大観衆の前であることを忘れそうになる、スターというよりは同時代を共に生きる隣人みたいな背伸びのない真摯な語りかけが今も心に残っています。
後に公式パンフレットで語られたところによると、広島で開催することになったのは偶然とのこと。ですが、「いのちの響き」を意味するタイトルの公演がこの地で行われることに、何か不思議なめぐり合わせを感じずにはいられませんでした(ちなみに、会場の広島グリーンアリーナは原爆ドームからほんの550メートルだそうですね)。
ここから先は、年の瀬のとある読書体験とEchoes of Life (TELASAで日々観賞)とが交錯する、混線だらけの感想文です。
その本というのは、こちら。2024年のノーベル文学賞を受賞した韓国の女性作家ハン・ガンの「少年が来る」をはじめとする小説です。
「少年が来る」は1980年、韓国で民主化を求める市民を当時の軍が武力弾圧して多数の死傷者が出た光州事件を題材としている。ハン・ガンの文章からは、じきに雨が降り出しそうな鈍い空の色も、遺体の傍に置かれたろうそくの炎の揺らめきも、汗や血のにおいも、思わず顔をしかめる痛みも、その場に自分が居合わせているかのように感じられる。それはきっと、その地で起きた出来事に関する資料を夢に出てくるくらい、うなされるくらい丹念に読み込んで、身体全部であたかも「再生」するかのように書くチカラを持っているから。
小説を、私は身体を使って書いている。見て、聞いて、匂いをかぎ、味わい、柔らかさ、あたたかさと冷たさと痛み、心臓の鼓動とのどの渇きと空腹を感じ、歩き、走り、風と雨雪を浴び、手を取り合う、こうしたすべての感覚のディテールを使用する。
一人の少年の死を軸にして、少年自身も含む幾人かの視点で書かれた物語からは、「どうして私は死ななくてはいけなかったのか?」と死者が問いかける声が反響(エコー)する。
ここで、街で「N」から始まる某駅前留学の看板を見かけると思わず写真を撮るほどの『Echoes脳』を搭載した私は、Echoes of Lifeのストーリーブック中の一節を思い出す。私の息が一瞬詰まったそれは、「命の終わりを、目の前で、見る」という短い文だ。その時も同じような問いかけがそこらじゅうに響いていたんだろうなと思いついて、胸が苦しくなる。
そして、「過去」と「いま」の関係についてもまた、二つの作品は重なってみえてくる。
この小説の韓国語のタイトルは『ソニョニ オンダ(少年が来る)』だ。「オンダ」は「オダ(来る)」という動詞の現在形である。「君」あるいは「あなた」と二人称で呼ばれた瞬間、薄闇の中で目覚めた少年が、魂の歩き方で、現在に向かって近づいてくる。どんどん近くまで歩いてきて、現在になる。
産声をあげてこの世に生まれ、年の離れた兄に可愛がられた、丸っこい頭をした15歳という年齢の割には小柄な少年。登場人物Aなんかじゃない少年。その日常が突如として奪われてしまうとはどういうことかが、彼の周りの人たちの物語を通して、私たちと地続きの感触で伝わってくる。
「どうして私は死ななくてはいけなかったのか?」という少年の声は、嘆きでもあるし、問いかけでもあるし、今を生きる人を鼓舞する声にも聞こえてくる。「過去の影は、いまから離れることはない」から。
人間の残酷さと尊厳が極限の形で同時に存在した時空を光州と呼ぶとき、光州はもはや一つの都市を指し示す固有名詞ではなく普通名詞になることを、私はこの本を書いている間に知った。それが時間と空間を越え、何度でも私たちのところに戻ってくる現在形であることを。まさに今、この瞬間にも。
「どうして死ななくてはいけなかったのか」という魂の声は、光州からふわりと飛び立って、時空を超えてウクライナやパレスチナに、広島や長崎に、かつて戦いがあったすべての地に、さらにはEchoesの世界にも響く。スクリーンを見遣ると、これが自分の正義だと言い聞かせて戦うNovaが描いた赤い軍旗が、どこかの地で戦う兵士にも見えるオモチャの兵隊たちの頭上で勇ましく、でも不安げに、はためいている。
そして、手のひらに握っていた愛情も含めてすべてを思い出した後でNovaは、「(運命を)綺麗な顔で、迎えられるように」と、過去と未来の間にある「いま」の光の道で舞う(Danny Boy)。その姿は、まだ日常を生きていた幼い光州の少年が「あっちに行こうよ、お花が咲いてる方に」と日向に向かって母の手を引っ張る姿と重なって見えるのでした。
優れた小説家は、文章のチカラで過去を現在形にする。そして、希代のフィギュアスケーターが紡ぐ”Echoes of Life”は、エンターテインメントというキラキラした衣を纏いつつ、「世界がこんなでも思考停止するな、問い続けよ」「そこに生きた者の声に耳を傾けよ」というメッセージを送ってくる。少なくとも、すっかり<混線>しちゃった私の頭には。
と、ここまでが、SIDE-Bの感想。
SIDE-Aでは、カッコいい!美しい!マスデイス様のステップ天才!衣装も天才!「あなたらしさの音」としてピアノ曲を選ぶセンス最高か!などと目に映るそのままを楽しんでいた多面性もまたEchoes of Lifeの魅力です。ちなみに楽曲の出所であるシュタゲ(STEINS;GATE)も攻殻機動隊もペルソナも未視聴、未プレイです。同時代に作られた作品群は、細かに辿らなくても根っこではどこか通じ合っているでしょ、という雑さ。だって時間が足りない…。
Yuzuru Hanyu ICE STORY 3rd “Echoes of Life”
— Quadruple Axel 編集部 (@AxelQuadruple) December 7, 2024
埼玉公演
Photo by Kiyoshi Sakamoto#YuzuruHanyu#Echoes#echoesoflife pic.twitter.com/qxLjLICryh
あらためて、同じ公演を見ても、どんな自分で見るかで受けとるものは変わって来ると感じます。実際の広島公演(私はライブビューイングに行く予定です)では、さらに千葉公演では、どんな私で、どんなEchoesを見られるかな?ツアーならではの旅路が、見る側としてもとても楽しみです。
まずは羽生くん、およびEchoesに関わるスタッフの皆さんの、そして年明け早々からきっとあれこれ手を尽くして広島現地に駆けつける皆さんの健康をお祈りしています!
(参考リンク)
「少年が来る」以外の二冊はこちら。