シングルマザー、フルタイムの宿命。
とうとう児童扶養手当の支給停止通知がやってきた。いつかはこうなると思っていたが、結構早かった。
支給停止になるくらいの所得があるというわけなので、仕方がないといえば仕方がない。ただ、決して生活に余裕があるわけでもない。
おまけに公務員だ。
「だったら、何の文句があろう」
そう呟かれそうだ。
わたしが悲しいのは金銭的余裕がないということだけではない。支給停止通知が「お前はもう大丈夫だろう」という烙印を押されたみたいで少しショックだった。
全然大丈夫じゃない。
この道を選んだのは自分だ。
間違いない。
すべて考えた上で離婚する決断をした。
この手当を支給している側はどこまで想像できるのだろうか。ひとり親のことを。
いろんな家庭があるから、一概には言えない。
ただ少し知ってほしい。
シングルマザーみんなが強い心の持ち主でないということを。
毎週末、1週間分の作り置きをする。
さほど高くない食材を買ってきて、とりあえず何か作る。おいしいかおいしくないかなんてどうでもよくなった。毎日子どもに食べさせるためだ。食べられるものなら何でもいい。同じ味付けで違う食材を使う。なんなら毎週何かしらの形で同じ味付けを食べているだろう。
体重が増えにくい息子がいる。より気を遣うようになった。結果子どもも自分も健康的でいられるからそこは良し。
ただこの作り置きを作るのにだいたい3時間。貴重な2連休のうち3時間は次の平日のためのご飯を考えなければならない。買い物時間を入れたら+1時間はいるだろうか。離婚前からの習慣なので、さほど苦でもないのだが、離婚後なお気が抜けなくなった。「ごめん、作れなかった。用意しといて」とか「とりあえずなんか買っていこう」という余裕はなくなったからだ。
息子のこともあり、そこそこ栄養バランスも摂れるように考えているので、結果的には全く問題のない話。
ただ、ふと思う。
何もしない休日がほしいと。
しかしそんなことをすれば、1週間家族で野垂れ死ぬか、その時々で食べられるものを買ってきたりと散財するかのどちらかだ。どっち道自分の首を絞めることになる。結局なんだかんだ毎週台所に長時間立つ。
朝起きてから自分のご飯は立ち食いで子どものご飯を用意する(シングルマザーじゃなくてもするよね?)仕事行く。帰ってきて、ご飯食べさして、お風呂入れて、寝かせる。
これをすべて請負っている。
もう一度言うが、嫌なわけではない。
それが何も疑いようのないわたしの毎日だったのだから。ひとりになってからずっとこの生活。むしろ子どもたちだけで風呂に入れたり、寝てくれるようになった。寂しいが少しずつ楽になっていっているはずだった。
だがある日ふと、涙が止まらなくなった。
何の前触れもなく涙が流れ、
止まらなくなった。
そしてその日から仕事が苦痛になった。帰っても子どもたちと触れ合う余裕がなくなった。
周りには休めと言われた。診断書書いてもらって休んだ方がいいと言われた。
じゃあ、だれがその分の給料をくれるんですか?休んでたら、子どもたちを食べさしてやることができなくなる。それは絶対にあってはらないこと。しんどくたって、ひとまず仕事をする。毎月ちゃんとお給料をもらわないと。もはやそれがプレッシャーなのかもしれないが。
なので今、仕事への向上心は放棄している。
この仕事をしてて、向上心ないとかどうかしてると思われるだろう。勉強して頭にin putすることが今はどうも脳が拒否している。
ただ、毎日生きるのに必死なのである。
そんな時に来た支給停止通知。
「見放された・・」
そうとしか思えなかった。